弱いものが、弱い故に何かを罵倒(或いは否定、攻撃)をしたとする。
すると、自分の領域を侵される脅威を感じた人は、
相手が弱い故にその発言者を叩くわけだ。
或いは、賢しい人は、弱者にこうアドバイスをするかもしれない。
「自分の領域を犯したものに対して、噛みついてしまう前に考えろ」
それは、恐らく自重が込められているのだろうね。
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さて。
弱い者が、噛みついてしまう前のケアの必要性を説く人がいる。
尤も、本人も自覚がある通り、そういった世の中であって欲しい
(そして自分も守られたい)という気持ちから生まれたものであるわけだが。
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個人的なことを言うと、私は自分が傷ついたときは
「優しさ」よりも「意見」や「知識」が欲しいと思う。
意見により、客観的に事象を分析することが出来るから。
そこで冷静になれれば、余計な感情は残さずに済む。
或いは、知識により、自分で自分の傷を治す術を手に入れることが出来るから。
それが出来るようになれば、次に他の人の傷をいやすことが出来るかもしれない。
感情が激しく揺れる瞬間というのは、大切な、成長の糧なのだ。
反面で、優しさで近寄られることを気持ち悪いと感じる傾向がある。
根本的解決にならない、怠惰な時間であり、
成長を妨げる悪意だと感じてしまうのだ。
ましてや、下心がある優しさなんて持ってこられたら、反吐が出る。
尚、優しさを使えば減る人=優しさに下心が必ず付いてくる人と言える。
しかし勿論、下心もなく、無垢な優しさに、胸を打たれることもある。
そういう「本当の優しさ」を、否定するほど野暮ではない。
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そういう、損得勘定抜きに優しく出来る人というのは。
ひとつは、無関係な人なんだろうと思う。
話題の領域に、一切関係がない人だ。
罵倒する意見にも、罵倒される意見にも、どちらの意見にも関心がない人は、
どちらにも無関係であるから、何の抵抗もなく優しくすることが出来るだろう。
もうひとつは、強い人。
自分が噛みつかれていても、罵倒されていても
相手の気持ちを思いやれる人。
しかし噛みつかれた傷が、見えないところで膿んでいって、
そういう人が、人付き合いを苦手としている場合も多かったりする。
幸か不幸かはともかくとして、中途半端に強い人というのは、
鈍感なまま一生を過ごすことになるだろう。
しかし弱い人は、強くなれる可能性を秘めている。
その「強さの可能性」を、誰かに優しくされることで、
開花させる人は、多いだろうね。
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それはそれとして。
最近、なんとなく思うのだが、
私はやっぱり、男が嫌いなのかもしれない。
女には優しくしたいのだが、男に優しくしたくないのだ。
厳密に言うと「優しくすることで好かれること」が嫌なのだ。
好かれないなら、いくらでも優しくするのだが、
優しくされて嫌う人とは、接点が続かないしなぁw
まあ、そういう細かい理屈は抜きにして、
よーするに、優しくして!って男が近くに居ると
猫の額的な自分の心の狭さに打ちのめされるんですよ。
で、自己嫌悪はしたくないから、出来れば避けて通りたい。です。
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私は身勝手だから、いざって時に自己中なことを言って
全てをダメにしてしまうんじゃないかと思ったんだ。
ということを言ったら、優しい、と言われたんだが
私の自己中さ加減を知らないだろう、と思ったんだが
言っても意味を為さなそうなのでそれ以上はなにも言わなかった。
相手の欠点とかぜーんぶわかった上で、
受け止めていたんだよってことを言ったら
泣いて、自己嫌悪に苛まれて
自己嫌悪するのが嫌だから私を憎むことにした人がいて
そんでも、自己嫌悪はしたんだ、よかった。と言ったら
優しい、と言われたんだが
ぜーんぶ受け止めてた、ってことを
わかってくれたんだなぁ(でもプライドが許さなかったんだねw)
というのがうれしかったから、よかった。と言っただけなので
別に、優しいとかそーいうんじゃないんだよ。
とか、
15年も経ってやっと自分が言いたかったことが言葉に出来るようになった。
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