或いはだから私は妥協が出来ない、という言い訳

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変な夢を見て、唐突に納得した。(ような気になった)

実際は(一方的に私視線でしかないという意味で)
あくまでも「ある側面」からの理解でしかないのだが、
他人の脳内は憶測にしかなり得ず、
過去の他人にほんとのところなんて聞けるはずもないので
まあ、その辺細かいことは考えないこととする。

稀に、面と向かって「お前のことが嫌いだ」と言われることがある。

しかし何故だか、それによって傷つくことはあまりなく、せいぜい、
あーそーですか、しかし私も自分を嫌う人を好きにはならないなぁと思うぐらい。

もっと昔は、嫌われてるなら邪魔せんよう近づかないでおかないとな、
という、ようするにリスク回避ネタぐらいにしか「嫌われる」ということを
受け止めることは無かった。よするになにこいつめんどくせ。である。

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傷つかない理由はいくつかあるが、そのうちのひとつが
「なんか不幸そう」「なんか辛そう」に見えるからだ。

不幸そうで辛そうな人に、お前なんか嫌いだ!と叫ばれても
憐憫の念こそ抱くが、自分が悪いとは思わない。
理由はなく、単純に私はそういう思考回路を持っている。
#それ故に、尚更に嫌われることも自覚している。

「誰かに嫌いだ、と言わなければ自尊心を守ることが出来ないあなたに同情します」

なのだ。私の場合は。

まあ、だからって本人に可哀そう、なんて言う程は平和ボケしていないが
裏でこっそり、この人が幸せになりますように、ぐらいは祈るようにしている。

そして大抵、そういうことを言われる(そういう人と縁がある)のは
自分自身がその人と同じレベルに居るという自戒として
自分に似たような部分はないか、こういう人を招き入れる歪みは無いかと
一人猛反省会をすることにしているのだ。

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蛇足だが、自分に自信があるから嫌われても大丈夫、なのではなく
自分が嫌いな自分を他人に嫌われても全然痛くない、のである。

嫌われるということは、自分に悪いところがあるのであり
それを指摘されることは自分を省みる良い機会、故に
上述のような思考になる。

私は(自分が嫌いな自分を)嫌われても別にどうってことないが、
他者と摩擦を起こすことはめんどくさいし、社会で生きる上ではマイナスだ。

仮に他人の内面に問題があるとしても、
それすらも逆手にとってプラスに変換できるようになった方が
何かとお得じゃないですか。みたいな考え。

#で、そういう考えが出来る自分は結構好きなんだよねw

ついでに、なんで嫌いとか言う相手の幸せを祈れるかというと、
その人が幸せだったら、嫌いとか言われずに済むからデスヨ。

嫌な思いはしたくないじゃん。当たり前だけど。
自分が嫌いな自分と常に向き合うなんて、有り得ないですよ。

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閑話休題。

で、何に納得したかと言うと。

結局私は、私に「嫌いだ」と言う人を、ばっさり切り捨てている。

何ゆえに切り捨てることが出来るかと言えば、興味がないからだ。

勿論、自分を嫌いだとか言う人に興味なんて持つ必要なんて
全然ないと思うし、気にする必要もないとは思うのだけど、そうじゃなくて

元々興味がないから嫌われるんだ、ということ。

例えば(よく私を嫌うタイプの一つに)見た目重視のおねぇ系デザイナーがいる。

しかも共通するのが、髭やもみあげが濃く、またそれをこだわってデザインしていて
こういう人は、大変自己主張が激しいタイプである、と認識している。

#実際、DJをやってたり、自分のデザインを否定する人(客でも)を非難したりする。

一方の私は、ある意味全く逆の考えを持っていて、
出来れば目立ちたくない(注目を浴びたくない)、
出来れば裏方で誰かを支えたい、
私が何かを作る(デザインする)モチベーションは、
客が作りたいものを(そのイメージ以上に)作りあげ
「お金を払った以上に価値があるものが手に入った!」と、
喜んで貰うところにある。

だが、私は(恐らくしゃべり上手である故に)目立つ。

また、注目は浴びたくないが自己主張はしっかりするので
そういう意味でも目立ってしまうのは仕方がないことであるし、
この業界に居る以上は、目立ちたくないなんて詭弁だとも思っている。

で。

故に、自己主張が激しい人、というのには、若干コンプレックスがある。

コンプレックスと表現するのは、もしかしたら適切ではないかもしれない。
ポジティブなコンプレックス(?)だ。

嫉妬心は抱かない。だが、羨ましい、すごいな、
作り手としては本来こうあるべきなんだろうな、
という羨望のまなざしを持って見ているのである。

もし私が自己中心的に、もっと前へ出たい性格であれば
もっと色々が上手くいったはずだ、とも思っているし、
彼らに嫌いだとか言われることもなかったのではないだろうか、と思っている。

また、制作の現場に限らず、過去の私生活においても
もっと上手に立ち回ることができただろう、と。

要するに私はこういう性格で、不器用であるが故に
割を食っている(余計な苦労を背負いこんでいる)と思っている。

不器用というか、中途半端だと思っている。

しかし、ことビジネス目線においては
客の満足を自分の喜びと出来ることは幸いであった、

と感じている。まあ要するに、働くの大好き、みたいな。

そして、成果を出すことにより、その喜びは自信に変わる。
故に、こんな性格でもこの業界に居続けるのである。

で、多分それは少数派なのだ。

そして、彼らの存在を脅かす驚異・・・なんて言うと大げさだが
彼らが大切にしたいものを踏みつけているのだろう。

例えば、成果が出ないデザインを一生懸命作った人に
「それじゃダメでしょう」と、はっきり言うことがタブーとされる場で
私は間違えなく、生きていくことは出来ない。

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多分、彼らは面と向かって「お前嫌い」と言われたら
すっごい傷つくんだと思う。

大切にしているからだ。努力もしているのだろう。

そして、その自我という枠の中で
自分を嫌いにならない理由で一生懸命
自分自身をコーティングして守っているのだろう。

なんか、唐突にそんな感じがしたのだ。

故に、感じるのは「憐憫」だったのだ。

私からして見れば、そうやって努力して頑張って
ある程度人に認められるような晴れ舞台に立てるようになって、
すごいじゃないか、と、思って彼らを見ていたのだが

それだけではダメで、足りなくて、

彼らは、自分と同じ価値観で、自分大好きで自分を愛していて
自分を世に権限することを第一にする人同士で集まるのが好きで

そうじゃない人とは一緒に居たくない、のだろう。

・・・やっぱりめんどくせーなぁw

とは言え。

私がこの業界、少なからずモノづくりに関わるからには
この業界で一番になってやる、ぐらいのがつがつした
こだわりを持って仕事をやらねばならんのだなきっと。

とは思った。

わかりあう必要はない。より成果を出せればそれでいい。

嫌われるの上等、真に良いものを作ってやる。という意味も含む。

なんやかんや、私も結構な負けず嫌い。

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このページは、qufeiが2009年7月 4日 08:16に書いたブログ記事です。

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