死に至る病

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ことばに見放されるということ

読んでいて、胸が痛くなった。
心が痛むとかそういうのではなく、物理的に

言葉は、何かを伝えるためにある。それなのに、
伝わえることが出来ないことを、こういう形で表現するのか。

と、色々な意味で、大変苦しく思った


落ち着いてから追記した自分のブコメを、そのまま流用してしまうが

誰も受け止めない言葉を胸に秘め、乖離していくことに
耐え切れなくなった時、突然、死が訪れる。

あなたにも幸せなる権利がある、という不変の真理を奪う人は
皆、殺人者(本気の殺意もたまに混ざってるが


これは当然ながら、何も性犯罪被害者の自殺などに限った話ではなく、
いじめを苦にしての自殺や、サラリーマンの自殺なども全てひっくるめての話

辛い、ということを そんなの誰もが辛いんだ、と 殺され続けた人が
乖離していく心と身体を近づけようとする結果であり、

そして、当て付けでもあるだろう その無意識の殺人者達へ向けての



でも、その声は、決して届くことが無い。

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言っておくが、私だって「見殺し」にしたことはある

その最もたるは、母のことだ

私の全てを壊し、私の全てを奪おうとした母が
私を無視しないで、と叫んだ時、私は
「殺人者側」に立っていることを明確に自覚しながら

母がヒステリーを起こして倒れる姿を冷酷に見下し、そして母を無視した
父は、何を言っているのかわからない、という顔をして母を無視した

いやまあ、母は勿論死ぬことは無かったが

後で聞いた、母が無視されたくなかった言葉というのは
私が38~39度の熱が3ヶ月も下がらず、
検査入院をしよう、という話になった時に紡がれたものだったのだが

お前が入院すると私が働かなくてはいけないから
私はお前が病であることを認めたくない、というものだったので

ほんとにぬっ殺してやろうかこの女。と重ねて殺意を抱いたものだった


そのようなことがあった同じ時期に、
私が「失った言葉」を取り戻した時の話を書いてみる



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詳細は、他の記事を参照して頂きたいが、

母は、父の姉を怨んでいた。
幾度にも及ぶ「父からの搾取」に対し、大変怨みを持っていた。

父の姉、及び親兄弟そのものが
「父の病」の元凶でもあるのは明らかである故に、
誰も、父のことは責めることは無かった

その代わり、母はその分付け所のない怒りを
私の中の「女」にぶつけてきたのだった


このことも、どこかの記事に書いたと思うけど

何かことがある事、

例えば私が母の化粧品を無断で触れたとき、
良くは覚えていないが私が彼女の意に削ぐわない時は大抵

やっぱりおまえはあの女の血を引いた女だ、恐ろしい奴だ!

と 金切り声でまくし立て、
私の血を、存在そのものを、命を、全否定した


ぶっちゃけ、脅迫だ。

だが私は脅迫に屈するような大人しい存在ではなかった
親に好かれよう、良い子の振りをしようなんてことは考えていなかった


私ははじめ、何を言われているのかが全く理解できず

父の血を引いている自分の存在自体に対して
何かを言われているのだ、という解釈をした

だから私は、そんなことを言うなら産まなければよかっただろう、
勝手に産んでおいて何を言ってるんだ!と、反論をした


ちなみにこの件について、母は言った覚えはないらしいが

完全にただのヒステリーで、いつもそれを言った後
言ったことを後悔している素振り、
申し訳なさそうにされていたことを、覚えていることはいる。

子ども用の化粧品を買って貰ったりとかね。

だが、申し訳なさそうにされたからと言って
幾度にもわたる存在の否定により、
私が傷つかなかったということにはならない

言った方は忘れていたって、言われた方は、覚えている。


ともあれ、表面的には「私は悪くない」と、訴えていたが

その裏で、私が生まれて来なければ
母は離婚出来て幸せになれて
こんなヒステリーを起こすような人には
ならなかったのではないか、だとか

居るだけで、生きているだけで悪者にされるような
#いや、当時は生きている事自体が悪であると信じていたが


そんな自分に、生きている意味はあるのか?
ということばかりを考えていた


また、私は大変身体が弱かったため、
医療費用がやたらかかっていたのも
母のストレスの原因であったことを知っていた

看病をしながら、愚痴ばかりを聞かされる

自分の存在や母の存在に対する怒りと
惨めさばかりを感じる日々だった


何度も(勿論母への当てつけとして)死ぬことを考えたが

死体だって誰かが片付けなければいけないんだよね、と思ったら
死んでまでそんな惨めな思いをするのは嫌だと思い
死ぬことも出来なかった

死んで、ただのゴミになるような勇気は無かった


以上のことは、全て小学生の低学年頃の話

その頃から、私は親からの一切の手を取らなくなった


熱を出し、身体が痛くても、怪我をしても我慢して
一切の手当を自分でやり、決して母に触れさせなかった


食事も自分で作り、母から食材泥棒と罵られたが

では養育の義務を放棄し家から叩き出せばいい、
家の顔に泥をぬればいい と反論をした

親(特に父)にとっては、私のことより世間体の方が大事だと知っていたからだ


懐かない私に手を妬いた母は、これは反抗期なんだと
都合よく解釈していたが

私は両親を、本気で疎み、決して親に心を許さなかった


ただ一度だけ、中学の時に生理が2週間
止まらなくなってしまった時だけ

病院に連れていってくれないか、と頼んだが
それぐらいのことは私も経験がある、と言い無視された

母も身体が弱く、幼い頃は入退院を繰り返していたことは知っていた

てめぇは入院していた癖に、私は病院にも連れて行かないのかよ、
と思ったが、所詮こいつは親なんかじゃないんだ、と
ちょっとでも何かを期待をしてしまった自分の甘さを悔やんだ


とにかく、早く大人になりたかった。早く自立をしたかった。

過食と拒食を繰り返すようになっても
決して、誰かに助けを求めるようなことはしなかった

父は子育てには一切参加せず、自分では何もやらずに、
文句ばかりを言っていて、

裏では、子どもがこんなことになっているのは
母親の育て方が悪い、と罵っていたそうだが

その罵りすらも、母が私を攻撃する要因になっていた


おまえらがしっかりしないと私が父に怒られる、
という腐った理論に本気で腹が立ち


父に対し、子育ては二人でやるもんだ、
自分は何もやらずに母ばかりに言うな、と言っていた


基本、父は男尊女卑の考えを持った男なので
そういうことを言っていると、暴力を振るわれることもよくあった

もともと線が細い人で、二十歳すぎには
私が腕相撲で負けることも無かったが

小中学生ぐらいまでは、流石に力で父には敵わなかった


一度、大怪我を負わされてからは、母が不在で父と2人だけになると
家の中で刃物を準備し、父から隠れるようになった

流石に、そこまでして拒絶されるところに踏み入るような人では無かった

しかし、そんな緊張が長く続くのは私もしんどく
母が失踪して、家に戻らないような時は

塾の恩師の元に逃げ、匿わせてもらっていた


私の大切なものを悉く壊し、私が選ぼうとすることを
何もかもを邪魔する母を心から疎み、

なによりこの女の血を引く自分自身の生を怨んでいた

その頃にはもう、とっくに死ぬことを諦めていたわけだが、

どんなに間違えても、この女のような生き方だけはしない、
という信念を持つようになった

そして、生まれてはいけない存在だとするなら
せめて社会のために役立つ自分にならなければいけない

そうでなければ自身の存在を許すことが出来ないと思っていた

そんな私に医者が言った言葉は

親元から離さないと二十歳まで生きられないよ

というものだった

かくして私は一人の生活を手に入れたわけだが

#いや、その後も体調が落ち着かないにも関わらず、
#母からは家賃はやく自分で支払えと散々言われたけど、
#そんなのは今までの地獄に比べたら比較にならない

#勿論、親が変わらないことにはがっかりさせられたが


親元から解放されてからは、本当に世界は
明るかったし、他人は私にとても優しかった

私が親に訴え続け、否定され続けてきた全ては
社会では、当たり前で常識的なことだと受け止められた

世界はかくもあたたかいところだったか、と
本気で感動をしたものだったが


私はこの「権利」を奪われないようにするため必死だった
本当の意味で自立をしないと、またあの家に戻らざるを得なくなる

幸い、私は学ぶことやパソコンが大好きだったし
それについてのコネクションが沢山あったので、
まだ制作者が不足していたWEBの道に足を踏み入れることが出来た

それに、頼まれたことは何でもやった それこそ
PCエキスポなどのイベントスタッフも、
塾の講師も、DTPでも、看板のデザインでも

頼まれれば何でもやっていた



念のため言うと、親のことは親だと思っていなかったとは言え、
と一切のコミュニケーションを取らなかったわけではない

私の命や生き方に関わる部分に一切触れさせなかったと言うだけで
不本意ながら、親の助けなしには生きることは出来なかった

こと、子どもときちんとコミュニケーションをしたかった母は、

#何故なら「世間体」を重視し過ぎるために
#真の友達と言える人が誰も居らず

#一切の愚痴を言える相手を私だけと決めていたからなんだが

私が例えしぶしぶとでも会話を認める事柄、
例えば苦手科目を教えてもらうことなどだけを
選んで接するようになってきて、

例えば、少し特別な食事や日常的な衣服の購入と、
愚痴を聞くことを交換条件に持ちかけてきたりした


また、父は仏教研究が大好きで、自分都合の宗教論を振り回していたので
世界各国の宗教や倫理を独学で学び、それは違う
解釈が間違えている 等々の議論を続けていた

ネットをはじめてからは、医者や心理学専攻者をつかまえては学んだ

そんな努力の末、二十歳の時に父は私の論に負けを認め、
それ以来、父はとても丸くなり、対等に会話が出来るようになった

その時は「お金を稼ぎ自立する」なんていうのは関係なく
対等だと思ってもらえさえすれば、話が出来るようになるのだな、と思った


また、二十歳を過ぎた頃に、実家で病院の助手を
雇うことが出来なくなってしまい、

丁度、上述の「恩師」の学習塾で先生をやっていたので
塾がはじまるまでの時間までだけ、家業を手伝った

その頃は、一時的にでも家族の関係は悪いものではなかった


その後、私は地元を出て様々な場所で仕事をしたが
一度だけ、入社した会社でトラブルが発生し
一旦実家に戻らなければいけない時があった

38~9度の熱が2~3ヶ月続いてしまったのだ
今考えるとストレスと過労でしかないと思うが

その時に。

仕方なく実家に戻ったら、以前の「良くなった関係」が
まるで嘘であったかのように、大騒ぎをされた

早く出て行け、さっさと仕事をしろと
病人に鞭を打つようなことしかされなかったのだ

見かねた先輩が、私を外に連れ出してくれたが
最終的には、検査入院という形でこの場から逃げ出すことにした


そんなことがあった時の話だ。


実家に戻り数日後、私は自分の泣き叫ぶ声に驚いて目が覚めた

私は、「私が悪いんじゃない!」と泣き叫んでいた。


意味もわからず、ただ何度も何度も泣き叫んでいた

私が泣いている、という実感は全くない

これ絶対近所迷惑だろうな、
何故両親は気が付かないのだろう?

と、色々を不思議に思いながら、

まるで私自身ではないような、実感のない 空虚な

「私の中の私」は、ただ、私は悪くない、と泣き叫んでいた


ひとしきり泣き終え、少し落ち着いて

ぼーっと考えて

ああ、今の叫びは、私が父の血を引いて生まれたことを
私の中に居る「ほんとうの私」が、私は悪くない と
言っていたんだろうなぁ・・・ と思った


生きるために、闘うために、屈しないために、気丈な私が
押し殺してしまった「ほんとうの私」が

報われることのない思いを ぶちまけたんだなあと


後で確認を撮ったが、隣の部屋にいた両親は、
あんな大きな私の泣き喚く声に全く気がつかなかったのだという

この「完全スルー」は、家族以外、他でも何度か経験があるので
まあ、そんなもんだろうな、とは思っていたが


受け止める人が居ない「ほんとうの私」には

ごめん とだけ思った


その叫びは絶対に、誰にも
届かないことを、私はよく知っていたから

だからごめん、としか言えなかった



今は結婚もして、親が私たちに何かを言ってくることは無くなった

今年は一度だけ「犬の予防接種に行きたいが
体力がなく犬を洗うのを手伝ってくれ」と言われ
主人と一緒に犬を洗い、他にも少し手伝いをしてきたが

先日、その犬が亡くなった。
虫の知らせみたいなもんだったのだろう。
最後に会えて良かったと思う。

それでも。

家族と袂を分かち、私が私の存在を無視されたことは

過去の事になり、今は幸せであると思っているのに
それでも、今でも、たまに泣いている「ほんとうの私」を

いつかは、救うことが出来るのだろうかと

いや、救うことが出来ないなら、せめてこんな思いを
抱く人を一人でも減らせないかと


何が悪くて、どうしてうまくいかないのだと

幸せは、今私のすぐまえにあるのに

何で私は泣きたいんだろうと

誰にも届かないのはわかっていても

たまに、こうやって外に出してやらないと

いつ、うっかり電車に突っ込みにいってしまうかわからないので


だから、こういうのは死に至る病なんだということを
はっきり自覚して、共に生きていくしかないのだと

少なくとも、今 この瞬間は

守りたいと思う人が、私を信じてくれる人のために
私は、生きなければいけない


・・・だったら、こんな思いは普段は忘れて
何も無かったようにいるしかないじゃないか


だから、私はすぐに 書くことを忘れてしまうのだが

本当だったら、ずっと、忘れたままでいたいんだよ

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このブログ記事について

このページは、qufeiが2009年12月19日 14:52に書いたブログ記事です。

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