飛ばさずに書いたけど大切なことなのでここにも書いておく。
私は、自分が会話をしようと思う人のことは、相手が嘘ついてようが何しようが
絶対に信じる。と決めている。
逆言うと、信用出来るかわからん人には話しかけないとも言うが。
別にガメさんが特別じゃない。
あほだ馬鹿だ言われても構わないが、そーいうポリシーなんだ。
もし裏切られても、自分が人を見る目が無かった、ってことになるだけだ。
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追記。
もいっこポリシーを書いておくと、
自分で真偽を確認出来ないことは、いかなることも信じる信じないを決めない。
但し、自分が信用する人が言うことについては、9割ぐらいの割合で信用する。
もし、信用出来なければ、信用出来るまで追求する。
#ごめんなApemanさん。でも私にわかるように言ってくれてありがとう。
私が信用しているのはその人自身であり、その人の発言ではない。
発言については、あくまでも9割止まり。
もし、確信を持てと言うなら残り1割の「根拠」が不可欠だ。
自分が、自分の力でその1割にリーチ出来ない場合は、
この人はそう信じているんだね。という認識に落ち着くところまでになる。
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それはそれとして。
人は、間違えることや勘違いすることはあるし、嘘もつくものだ。
だから、実はあまり人が本当のこと言ってるか嘘を言っているかを
「信用の担保」としては、考えていない。
その上で、その発言が真実であるかどうかの追究が必要である、
ということであるなら私はこう言うしかない。
自分で真偽を確認出来ないものについては、
いかなることに対しても信じる・信じないを決めない。
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嘘つかれても信じることが出来る、と言うときに
信じているのは、言葉じゃなくて、存在。
そーいう考え方が出来ないと、病人である親となんて、
付き合ってられなかったのさ。
人をヒステリックに非難しまくる癖に、
後でそのこと全然覚えてないとか、ほんとひどかったんだから。
だからその辺、私は人とちょっと(かなり?)違う感覚を持っているんだと思う。
今日も「ヒステリックで意思疎通の難しい顧客」と電話でやり取りしてたら
よくあの人ときちんと意思疎通が出来るよね、って感心されました。
本物の病人と比べたら、健常者のヒステリーなんて可愛いもんです。
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※追記
書くことでもないと思うけど・・・
人を信じるのと事象を信じるのは全く別の話です。ってことを書いています。
同じ単語だからって一緒くたにしないでね。
しかし「人」を認識する際の言葉の種類が違うのかな。
人の気持ちは常に変わる&人の知識や認識は常に変わる可能性があるので
そこの変化に対して 嘘・ほんと ってことは言えません。
明らかに嘘を言おうとし意図して嘘を言った場合のみ、嘘になりますが
本人の意図が明らかでない場合は「不明なもの」でしかなく、
意図が明らかでない段階では、エスパーでもない限りは
相手が嘘を言っているなんて決めつけられない。
間違え・誤認識と嘘は違うので、問題は「嘘をつく意図があったかどうか」。
それが、人が嘘をついたと言う時の判断基準になる、と思います。
#っていうのが私の認識なんだが、定義が厳密すぎるのだろうかね?
#まあ尤も、嘘をつかれたと思った受け取り手の問題だ、とかいう
#自分中心の考えであれば、嘘をつかれた「と思ったら」嘘ついた、って非難になっちゃうのか。
ついで言うと、私は相手が意図して嘘をついても
それでその人への信頼が揺らぐかどうかは、嘘の目的次第だな。
逆言うと、本当のことでも言わんとすることの目的が
受け入れがたいものであれば、受け入れない。
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