私が、知的障害者の自立に意識を払っている理由は
ひとつは、幼少児の「近所の知的障害者」の存在がある。
ご近所+同い年+同性であるが故に、周囲の大人達に
任せる。と言われて任された。と思って
毎日特別学級まで連れていき、毎日学校から連れて帰っていた。
#ちなみに任された理由は単純で、通学路に
#大通りがあり、子どもの交通事故が多かったためだ。
特別学級には、隣町が戦火に巻き込まれずに残ったことに対し
恨み言をいうじーさんに、完全に洗脳された娘がいた。
幸せそうな人を見ると「許せず」に、誰彼構わず暴力を奮ってしまうのだ。
故に、一見は健常者なのだけど、特別学級に入れられていた。
そんな人たちが間近にいたので、当時の私は
戦争がまだ終わっていないもののように感じられていた。
課題図書とかも、戦争の話が結構多かったしね。
丁度、はだしのゲンが上映された頃のことだ。
#以下自分語りなんで。別に戦争の話とかは出てきません。
#単純に、そんな理由でこの件に対して苦手意識持ってたんかもなーって思っただけ。
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知的障害者の友達は、からかわれたり石を投げられたりすると本気で怒ってしまう。
それを見るのが楽しかったようで、毎日のように品の悪い男の子たちが彼女をいじめに来た。
私はそれを見かけると、男の子たちを追い払う。
女の子の方が発育もよく、私は力も大変強かったので
男の子たちは、蜘蛛の子を散らすように逃げて行く。
で、私は彼女に(半ば反射的に)、なんで怒っちゃうんだ、
怒ったら余計にいじめられるでしょう!と言ってしまったのだが
彼女はもちろんわからない。なんで怒られているのかがわからずに、怯えられてしまった。
はっ となるが、しかし私にはこういう時、どうすれば良いのか分からない。
先生に聞いても、親に聞いても勿論、誰も、何も教えてはくれない。
品の悪い男の子たちは、私に仕返しをしにやってくるが
その都度、喧嘩の相手をしていることに嫌気がさしてきてしまい、
#いや、ここはもっと正確に言うと、
#私が投げた上履きに引っかかってこけたやつがいて、
#捻挫、したんだな。
#で、自分が原因で怪我させたのが気分悪くて嫌になっちゃったの。
#なにせ私は怪我の治療をするのが大好きで(←この辺、よく考えるとサディスト)
#保健委員をずっとやってたんですよ。なのに私が怪我させてどうする。と。
図書室だとか、保健室だとかに入り浸ることが多かった。
しかし実際は、彼等はどうのこうのとかいうことに、私は全然興味が無く
ただ「自分が何もできない」ということだけに、ただ苛立を募らせていた。
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完全に切り捨てられた男子たちは、あの手この手で私に攻撃をしてくるが
一切無視、椅子で殴りかかられても受け止めて、椅子を打ち捨てガンをくれる。
#そういうことをやれば、大抵は、逃げる。
#奴らには命のやりとりをするまでの覚悟はない。
しかしそのうち、彼等は私の周囲の友人に、手を出し始めるようになる。
あとは、どっかの記事に書いた通り。
一度だけ喧嘩を買って、好きなように殴らせて、
二度と私の目の前に姿を現せるなと怒鳴りつけて、終わり。二度とこなかった。
別に、そんなことはどうということではない。というかどうでもいい。
私の中じゃそんなやつらは
いじめられるのが嫌だから無視してごめんね、
とトイレで謝ってきた女子共と同じである。
親に、自分の命を全否定される痛みと比べたら。
友達に、何もしてやれない苦しみに比べたら。
そんなことは、ほんとうにどーでもよかった。
少し離れた場所で、たくさんの本を読み大人と会話をしながら
いずれ彼等が大人になって、いじめるのを辞めるまでの時間を
私はただ、待ち続けていた
#何故なら高学年の子たちは特別学級の子をいじめるような人はいなかったから。
#ちなみにそういう意味では、中学年(3~4年生)の頃が
#小学生のうちでは一番ひどかった・・・のだが、
#その「ひどかった原因」となっていた少年が
#もう、この世の人ではないので、私は、この件については語らない。
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よく私は学校の丘の上で、ただずーっと、人を見つめ続けていた。
とは言え、ただ眺めていただけではなくて、誰かが怪我をするのを見つけると、
突っ走っていって保健室に連れていったりもしていたけれども。
#保健委員として。とゆか単に本当に治療するのが大好きだったので。
#↑いやなやつ
その丘の上では、色々な生き地獄を聞くことになった。
親戚に性的な嫌がらせを受ける子の話だとか、まあ色々と。
周囲とうまく人と馴染めずにいた人たちが、
たまに、私の元に遊びに来ていたのだ。
よくわからないが、面倒見が良いから頼られていたんだろう、
言いたいこと言って帰っていったり、なんも話さずただ一緒にいたり
喧騒から逃れたい人が、たまにまぜて。と言って遊びにきた。
その中で、品の悪い子の家が、実は
大変苦労をしていることであるとかいう話しも聞いた。
ヤツに噛み付かれたのは大変痛かったし
雪合戦の時に石を入れるというとんでもねー反則カマシやがったが、
それなりに、あいつも大変だったんだなーとか、そんな感じで。
勿論同情なんか、されたくなかっただろうし
私もそんなやつとは全くもって関わり合いたくはなかったが、
「人」について、色々なことを考えた、というわけだ。
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そのうち、同級生たちが「大人」になってきた。
私は、色々な人と話をするようになった。
一部の男の子たちは、精神も肉体もたくましく育っていき
大変羨ましく思ったものだ。
体育の授業、徒競走などは通常同性と組んで走らされるが
ある時私は、自分の「性質」に気がつき、
授業後、男の子たちにお願いをして一緒に走って貰った。
女の子と走るよりも、全然タイムが良くなった。
私は、誰かに追いつこうと頑張らんと、頑張れないタイプなんだな。と自覚をした。
故に、その分野で一番頑張っている人と友達に追い付こうと頑張りはじめ、
一緒にいることが多くなるようになった。
それは、以前のいじめっ子たちでもあったし、そうじゃなかった人もいた。
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私は、そんな幼少期を、なんて幸せであったのだろうと思う。
確かに親は病み、辛い思いを強いられ振り回されて生きてきたが
私は、家の外にいる実に沢山の人達に支えられて生きてきた。
確かに喧騒に巻き込まれて、辛い日々ではあったのだけど、
家の中の狂気から離れた場所で「現実」に触れる
そのことがとても嬉しかった。
数年後、いじめっ子だった先輩が街中で
子どもをかかえて 久しぶり。と声をかけてくれたりとかね。
あ、なんだ、そんな感じでいいんだ。というかね。
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勿論、自分が生きるために、という意味でもあるが、
「どうにか、したかった」のだ。色々なことに対して。
どうにかしたかったままに大人になって、情報探して色々な話を聞いて、
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馬鹿みたいだけど、私は本気で考えているわけですよ。
どうしたら、もっとこの国が良くなるのだろうか、とか そういうことを。
どういう考え方で前に進んだら、この断崖絶壁みたいなところから
違うところに向かっていくことが出来るのだろうか、ということを。
流されたら、落ちて行くわけですよ。多分。
そして、一部の余裕ある人たちだけが助かるんですよ。
流れて行くわけに、行かないわけなんですよ。
そんなの、当たり前だろう。
でもそんな心配しなくても、意外とみんな上手に波に乗れたりするんだよね。
強いて言えば、たまに焦げ付いちゃったみたいな人が出てくるだけで。
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あとはもう一つな、これは超個人的な話なんだが、
私の伯父は、日本にある医療技術を輸入した人なんだ。
そのお陰で、自由診療に大革命が起こったんだな。
でも、彼と彼の奥さんは、ほんとお金お金の人で、
じーさんが、死に際に本当に可哀想な目に遭って
高卒でwebなんていかがわしい仕事をしているやつは
相手にもしない、って顔されてるんだ。
医者には、web嫌いがすごく多くてな。
叔母なんかは、ネットには死んでもアクセスしない。って言っていた。
私は、あの人達を見返してやりたかったのだ。
って言うと大げさか(昔はそう思っていた時期もありますけど)
なんとなく漠然と、超えてやる。って思っていた。
お金ばっかりで、自分の親のことをモノみたいに扱ったやつに
どうよ。って顔をして自慢してやれるようなことを成し遂げてやりたかった。
当時は、具体的なことなんて、何も考えていなかったけど、
勿論、web仕事だけをやっていたら、そんなの無理。ってわかっていたけど。
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そういう意味で、
今の主人の仕事の企画は、私にとっては希望であったりする。
いや実際、企画したのは私なんだけど。
ビジョンは、果てしなく大きく描いておいた。
いつ、どこまでいけるかはわかりません。
もし私が死ぬまでの間に成し得なくても、いつか
ビジョンの全てが形になると良いな。
いや、勿論気持ちとしては「絶対成功させる」なんですけどね。
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