しかし私は「善人」ではない。
やっぱり、ただの世間知らずのおじょーさまだっただけだと思う。
というか、そういうことにしておいてくれ。
それでも私は、ある少年が
とても小さな家で、母と兄弟だけで暮らしているのを知っていて
その少年が、痣ができるほどに腕を噛み付かれても、
雪合戦の雪の中に石を入れるという卑劣な真似をしても
誰にもそのことを言わずに、ただ耐えて
ただ、悔しくて、悔しくて、ひとり泣いて
それでも大袈裟に扱う母が、私の腕に包帯を巻くことを
とても、疎ましく思っていたのだ。
そう、色々な意味で、私はそんな環境下で生きることに絶望をしていたのだ。
前記事の続き、というか別視点での話ですが。
では私が無条件に善人であるかと言ったら絶対にそんなことはない。
私は他人の幸せを妬んだりしない代わりに、
人からものを奪えてしまう強さがあったからだ。
というかまあ、負けん気が強い。奪ってでも欲しいという貪欲さがある。
妬むぐらいなら努力しろよ。それが私の本音。
努力もせずに妬むようなヤツを、心底ばかにしている自分がいる。
しかし反面で、そういったものを持たずに自然体である存在に
私は嫉妬をする。
そういう人の前で私は、「強欲」な自分を、とても醜いと思った。
しかしその「自然体」である人は、私のことを愛してくれる。好いてくれる。
そのことは、誇りでもあり、劣等感を強めることでもあったが
より向上したい自分としては、羨望の先にある存在の中に身をおくことこそ
自分の成長の糧になると思っていたし、実際そうなった。
努力が伴うなら良いじゃない、と思うかもしれないが
根拠が「嫉妬故の貪欲」である、っていう部分が醜い、という思いが強かった。
成長したい、ではなく、「負かせたい、勝ちたい」故に努力をする、
時には力や悪知恵を使ってでも、
そういう、手段を選ばない貪欲さという「歪み」を、私はものすごく強く持っていた。
それを二重人格と言うべきか、表裏一体と言うべきかは分からない。
嫉妬心と相手の幸せを喜ぶ気持ちが
バランス良くあれば、こんな苦労もしなかったと思うが
とにかく、どちらも「私」の姿であり、
「手段を選ばないほどの負けん気の強さ」が
私が望まない事柄でも、闘い続ける根拠になっているわけで。
だから、やりたくもなかったピアノを根性出して頑張って
音楽の先生とガチバトルになって大騒ぎしたりとかね。
いじめっことの喧嘩もそうだね、この負けん気の強さが全て災いしており
そういう私を利用しようとする数多くの存在が、私をけしかけになんども近づいてきた。
くだらん、と思う。
くだらんことをわかっていながら、用心棒役を買って出る私もくだらねー。
故に、私は誰ともつるまなかった。常に一人だった。
しかしこの負けん気の強さ故に、私はビジネスと親和性が高く。
くだらん、と思うが、それが必要とされるヨノナカでもあり
くだらない人間が寄ってくるのなんて、誰のせいじゃない、
それが私の限界だからだ。
そう思ったから、自分を変えようと思った。
単純な話。くだらない、と切り捨てる私の心がくだらない、ってこと。
くだらないと思うことを一切やらない、そう決めればいいだけだと。
もう、一瞬たりとも私は、金の亡者のために生きないと決めた、
その時から、私の世界は変わる。
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今までずっと我慢し、利用するものを受け入れてきた自分が
突然「反攻」を始めたとき、
勿論、周囲は最初は私をものすごく疎むようになった。
私が疎んでいるんだから当然といえば当然だが。
一番大きいのが、親に対して批判的な態度を取ることだ。
これは、多分誰もが「自分が親になる可能性(或いは既に親である可能性)」から
子どもにこんなことを言われたら、たまったもんじゃない、という
強い抵抗感を感じ、それはそれで大変人らしい、と思った。
#だからって、私は悪いものに加担するやつは
#そいつも悪だと言うのを辞めることはしなかったが
孤立しても良いから自分の思う正しい道を貫こうとすると
時には、「職場」という集団から弾き出されることもあった。
しかし、それでも私は絶対に屈しない、と心に誓っていたし
自分の価値を高めれば、より上に行けるはずだと思った。
結果、その確信は現実のものとなり、
私は仕事の神に愛されている、という確信を持ち始める。
「間違えていると思うことには決して加担しない。」
それは、自分の内なる神への忠義みたいなもんで、
故に、それを貫いた結果で全てが「良く変わっていく」ことを差して
「私は(仕事の)神様に愛されてるから絶対大丈夫」
という風に言ったのは、自分が孤立することに対する不安を
神という無形のものへの信条にすがることで得た安息であって
それが、内にあろうが外にあろうが、本当はあまり関係ない
ただ、内なるものは神ばかりなどではなく、内には悪魔もきちんと住んでいて
私はいつも、その悪魔の誘惑に(或いは神を模した悪魔の声に)
流されない、負けてしまわない、騙されないことだけに注意をして生きるようになった
大きな神と、それと全く同じ大きさの大きな悪魔のど真ん中で
人としてあることに、こだわり続けたいと思った。
だから言う。私の最大の敵は自分自身であり
成功に酔い痴れ驕り高ぶる瞬間や
妥協しようとする心に甘んじる時が一番危険。
だから「神」という存在が自分には必要なのである。
或いは「他者である協力者」という存在でも構わない。
これは決して自分の力だけのものではない、
大きな自然の摂理と支えてくれる人のおかげであると思うこと。
或いは、自分がここで手を抜いたときに一体どんなことが未来に起こるか、
それが、私を支えてくれる人をどのような状態へと誘う結果になるかと思うこと。
自分ひとりだったら、野垂れ死んでも構わないと思ったかもしれない。
故に私は、ひとりでは何の価値もない人間であることを、十分承知している。
私が個人で企業せず、組織に属することを好むのも同じ理由だ。
私は、私一人では、何の価値もなく、何の役にも立たない人間なのだ。
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