返信の追記(というか独り言

コメント:

私は、自分を傷つけた存在に「癒し」が必要だと思うが
「許す」つもりは毛頭ないし、許す必要もないと思っている


許さなければいけないのは相手ではない、自分自身である。

自分は、相手の属物などではない、一個人である。

誰のものでもない、自分の命。そういうことを自覚し、
苦しめられたことに対し怒りを感じる自分を許し認めること。

それが出来なければ、生きること自体が苦痛になってしまう。


哀しんでるだけじゃ、憂えているだけじゃ世界は変わらない。


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と思う反面で「因縁」ってやつはあると思うけどね。

もし、自分が嫌なことをされたら、それはもしかしたら
過去に誰かにやったことの仕返しをされているんだと思え、

みたいな考え方があってですね。

そう思うと、ああ、私ならこういうことやりそうだ、という
嫌~な気分になるわけです。絶対やらないとか思えないという。

だから結局は、反面教師的に自分がそれをやらないよう
戒められているよーなもんなんじゃないのかな、と思うわけですよ。

似ている存在ほど見ていて気分が悪い、ってのは
そーいうところがあるからなんだと思うわけです。


以前もどこかで書いていると思うが、

人は、その人の脳にある知識の範囲でしか物事を理解出来ない。

他人に対し、嫌な面ばかりが目につくようであるなら
その内容は、自身の悪い面であることが多いし

他人を悪く言う人たちの言葉というのは
その人自身の悪い面であることが多い。


しかし問題は、そういったことを理解した後にある。
「その上で相手(或いは自分)にどんな言葉を投げかけるか?」


それが「あなた自身」となっていくのである。


---5/4 追記

で。その「あなた自身」が傷ついている自分を認めず
自分の自我と反したところに「あなた自身」を構築していくと、

自我と「(あなたが構築した)あなた自身」が乖離していくから
それはそれで、どんどんまた生きていることが辛くなっていく。

また、逆に「あなた自身」を作ることに意識を払いすぎ
精神的につかれてくれば、それはそれでネガティブな思いが内側に募り
さっきとは逆の意味で、自我と「あなた自身」が乖離していく。


更に、それを無意識にやっていたりすると
自我と「(周囲から評価される)あなた自身」の乖離に対して
どのように対応すれば良いかわからなくなるんじゃねーかなとも思う。

自覚的であるなら、ある程度コントロールは出来るはずなんだが。



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さて、話は変わるが。


私は、親に結構ひどいことを言われた。

一番ひでぇ。と思ったのは(これも既出ではあるが)

検査入院の結果、脾臓が腫れていることがわかり
医者が親を呼び出し説明をしている際に、

この子が病気なはずはない、自分の思い込みで病気を作ってるに決まってる
そうでしょう先生!と、医者にくってかかったこと。

そして、その後に何故あんなことを言ったのだ?と尋ねると
「だってあんたが病気だと認めたら私がお金を稼がなくちゃいけないじゃない」

と、言われたことだと思う。が、


これを私が「一番ひどい例」として上げる理由は、簡単に言えばわかりやすいから。

「社会的な親子の割合を考えたときにありえへん光景」だからでしかないんだな。
よーするに、他人の心を考えたときに、これが一番応えるだろうという学習。


本音を言うと、この光景を目にしても私は全く傷つくことはなかった。
だって、親がこういう人だってことなんて、とっくの昔にわかっていたから。

もっと嫌な思いをしたことはたくさんあるし、どっちかというと
「医者の嫁がこの発言ってどんだけ恥ずかしいんだこいつ」
という気持ちのほうが圧倒的に強かったし、実際そっちの方がきつかった。

まあ、それですら、所詮は他人事だから別にどーでもいいんだけどね。


だからまあ、こんなの許すも許さないもない。どーでもいいんです。


私は親の言いなりになって生きていたわけではなく
親の発言が不当であると思えばきちんと抗議をして
大抵は、こっちの「正論」で押し返しきっていた。

上記の例であれば、私は親に入院費を全額払わせた。

まあ、彼女はその額を1円単位まで手帳にメモっているらしいが
「子どもの意地」と称して返すつもりは毛頭もない。

そういう、大変親子らしくない攻防が繰り広げられることに
私はいい加減、辟易しているので、一切を無視する予定。


この親を許すということは、金を渡すということでしかないのだ。
しかし、どんな裕福になってもそういう死に金を使う予定はない。

というか、金を一度渡したら最後、また依存されるもん。
冗談じゃない。てゆか、死んでもごめんです。

#こっちの方が本音としては正しいか。
#依存されないなら、何かを贈るのは好きなんだけど
#残念ながら、それが出来ない。と言う方が正しい。


しかしいずれにせよ、なぜ私が傷つかずにいるかは明白で、

親のこの愚行は想定内であると同時に
私がこういう人間になるという不安が全くないからである。

故に、無視をしてれば済む話。


無視はすれども、私はこの人達はこういうもんだ、ってことを
ありのままに受け止めている。

その現実を変なファンタジー(親が抱く理想の親子像)で覆い隠すつもりはないし
親が至らないことを理由に、恨むとかいう感情も抱かない。


この人達に親らしくいて欲しかったなんて、私は全く思っていない。


大切なものは、親以外の沢山の人達から貰った。

親がくれなかった分、沢山の人から貰えたと思えば
むしろ、感謝しても良いぐらいだろう。


感謝していますとか言おうもんなら片っ端から壊そうとするのが「女」なんだが

大切なものが壊されそうになれば、私は総攻撃をしかけます。


母自身は幼い頃、壊されてしまうことをただ受け入れていたらしいが
親の不条理に逆らっちゃいけないとか、有り得へん。

悪いことやる人を許すのは、悪への加担だもん。


私はそういうのは決して許しませんし、許しちゃいかんと思います。


なので、私には親を許す予定はないわけです。


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ちょっと前までは、説教してやるぐらいの愛情を注いでいたのだが
そういうのもこの人には無意味なんだな、と思うことがあり、止めた。

そしたら、ちょっと見ない間にすんげー老け込んでいて。

ああ、老いとは自然が与える罰か。というのをしみじみ噛みしめ、
そして、哀れに思いました。


彼女には彼女のテーマがあり、それに沿って生きているのでしょうし
もし、彼女が至らなかったとしてもそれも彼女の生きる道。

私が、どーのこーの言うもんでもないんだろう。


というか、金の亡者を救うとか、私には無理です。
こんなの、自分で気付くしかないもん。

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このブログ記事について

このページは、qufeiが2010年5月 4日 01:18に書いたブログ記事です。

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