2009年1月アーカイブ

問うてみた

コメント:

先に言っておくがノロケじゃないぜ。
自分がより好みにより好んでたどり着いた「環境」は
こういう場所だ、という話。

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旦那に「男女平等という問題は、女性のものであるか?」

と、問うてみた。当然ながら、首を傾げられた。
そこで、以下のようなたとえ話をしてみた。

『例えば共働きをしながら育児をすることになったとする。
その時、女性は、育児と仕事の両方を負担することになるが、
そこで男性も育児休暇が取れるようになれば、女性の負担は軽減する。

そのことを社会に訴えるとき、この問題は女性だけのものであるだろうか?』

しかし旦那は、やっぱりよくわからない、という顔をした。
そこで、以下のように続けてみた。

『女性にしてみると育児の負担は減るが、
男性にしてみると育児の負担が増えることになるから
男性は必ずしも育児休暇が欲しいわけじゃないんだって。

そのことに対して、女性が男性に「問題意識を持ってよ!」と言うのは
女性の問題だと思うんだ』

旦那は、うなずいた。なるほど、という意味で。

『でも、社会に「男性にも育児休暇を」と要望を出すのは、
男性も一緒に言う問題だよね?
女性だけが男性にも育児を!って叫ぶもんじゃないよね?』

旦那は、なるほど、という顔をした。

『・・・どっちかっていうとあなたは、育児休暇取れた方が
良いと思ってるんだよね、育児休暇なんて面倒なんて思わないんだよね』

旦那はうなずいた。

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旦那は、自ら率先して、声を大に訴えるようなことはしないだろう。
だが、そういう状況が訪れたら諸手を挙げて歓迎することは間違えがない。

そういう環境を選んできて、手に入れてしまったので、
私には多分、世の中で騒がれていることの本質はわからない。

ただ、ひとつだけ言えるのは、私がこういう環境を選んだ裏には
男女という隔たりなく自分自身が社会貢献をしていくという覚悟があるからであり、

その覚悟を持たずして、同じ環境を求める存在がいたとしたら
幸せだね。と生ぬるく微笑み返すと思う。

ジェンダーとフェミニズム

コメント:

フェミニズムというのは男女平等の話、ジェンダーというのは性差の話。

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私のいる業界では、女の方が圧倒的に強い状況をよく目にした。

直近で、前職場では控えめで自分の意見を言わない人は仕事がなくなるし、
受け身な人(特に男性)に対しては「ダメなやつ」と痛烈な批判が飛び交う。

お茶汲みは男性だったが、「花がない」と不評だったし
(でも代わりに女性がやるということは無い)
力仕事の多くは、女性が行っていた。

それぞれ、男性だから・女性だからというポジショニングではなく
単純に、それが与えられた「業務」だからやっているのである。

そういう意味では、ジェンダーフリー且つフェミニズムが実現した場所だったのだろう。

勿論、女のくせに・男のくせにとか言う人はいないのだが
それでも明らかに、男だから女だからという心を内に秘めている人はいた。

例えば(女性ばかりのポジションに)もっと男が欲しい、とかね。

で、そういうことを言うのは「男」で、私はそれがよくわからない。

男か女かより、仕事ができるかできないかで判断すれば良いのに
なぜ男がいいのか。それは多分、普段の会話を同性と楽しみたいからなんだろう。

要するに、男女の差別はしなくとも、ジェンダーフリーであろうとも
やっぱり男と女は違う面があり、同性の方が気楽に話せることもあるわけだ。

そのこと自体は、差別だとは思わない。

しかし、それを言うのが「社員の評価をする立場」の人間であることに問題がある。

出来なくても男性には甘い点数を付けがちなのだ。

では、その上司は「差別的」なのだろうか?

「ひいき」ではあると思うのだが、差別かどうかと言われると、・・・わからんです。

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昔、ある男性に「女なんだからもっと、きゃーきゃー甘えればいいのに」
と、言われたことがある。

その男性は(まあ地位も人柄もその他色々もあったので)
結構常に女の子がきゃーきゃー甘えていたのは確かで、
私はそういう女の子を見て「可愛いなあ」と和んでいる方だった。

が、その男性に(良い男ではあるが)性的な魅力は感じなかったので
なんで魅力ない男に甘えてやらねばならんのだ、と思った。

が、その男性には尊敬できる面が多々あったので、
彼の頼まれごとは快く引き受けたし、彼に質問することも良くあった。

が、それと「男性としての魅力」は別なのだ。

自分が女を見せるのは、相手に魅力を感じている時だけだ。
お前にその価値があると思うのか、と心の中で思ったが
言わない代わりに、意味わかんね、という風に首をちょっと傾げた。

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ある他部署の上司(男性)に、「男だったらよかったのに」
と、言われたことがある。

男だったらびしびし鍛えてやれるのに、という意味らしい。

女だとそれが出来ない理由は、彼の中にあったのだろう。
そして多分それは、前述の男性びいきの上司も一緒なんだろう。

遠慮しちゃうんだろうな。

そう言われることは、嬉しくもあり哀しくもあった。

その上司には、飲みの席で酌をするのはやぶさかではないと思った。

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今でも、男だから・女だからということで区別されることに
慣れたわけではない。だが、区別されることが減ったような気はする。

いや、差別をするようなやつは私のような存在を認識できず
男として扱ってくれることもあるのかもしれないが。

が、明確に差別をする人ってのはえてして
レッテルをはって生きているのは確かで
そういうレッテルでいちいち区切りを入れられるのは
確かに鬱陶しくはあり、


「この人はこういう人だ」と認識して付き合うのは大変だ。

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「大変だ」とは思うんだ。

でも、だからって自分が変に謙ったり女らしく振る舞う必要はあるだろうか?

私は、無いと思うんだが、それは間違えているのだろうか?

↓この記事を読んで、そんな気分になった。
男はフェミニストを続けうるか?

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私は料理が好きだ。
料理好きの男性と台所の取り合いになることが良くあった。

料理を女のものにしてしまうと、
料理をしたい男性が居場所なさそうにしていて
可哀そうだな、とよく思った。

私は首に障害があるので、
重い荷物を持つと1日動けなくなるので
今の旦那が荷物持ちをしてくれるのは大変助かる。

実家では、父が首を悪くしていたので
荷物持ちも大工仕事も全部母がやっていたし
世で男性がやることと言われるものは、うちでは女がやるものだった。

#但し、それに対して母は、愚痴を言うことを忘れはしなかったが。

女性だからという理由荷物を持ってもらうのは嫌だったが
自分の身体を考えると持ってもらわざるを得ないことを
今の旦那に出会ってはじめて、素直に認めることができるようになった。

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うちの旦那は、なんというか「こだわりがない」人だ。

あまりにもこだわりがなさ過ぎて、自然体過ぎて
こだわることが馬鹿らしくなる。故に、大変楽である。

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最近、過去の辛かったことや、苦しかったことを
忘れつつあることに気が付く。

以前は、忘れる事が出来ないことが辛くて仕方がなかったのに。

そしてそれは「今」苦しんでいる人の気持ちがわからなくなりつつあることと同義だ。

そのことにより「縁」の種類が変わることを、なんとなく感じている。

先に進むことが、楽しみだ。

あれ?w

コメント:

検索しても出てこないから何事かと思ったら出身高校の名前が変わってるw

いや、部活名がわからなかったから調べようと思ったんですけどね。
びっくりした。

アレ?

コメント:

思うところがあり自分のドメイン情報を確認したら、旧姓且つ旧住所のままになっていた(汗

あれぇ?変更申請したつもりでいたんだけど・・・・・・・・・
住所も名前も5年も前に変わってるんだけど、今から修正って出来るのか?(汗

アニメの教科書を東京都が制作した

なにずれたことやってるんだともっぱらの悪評しか聞こえてこないんだが
今、ニュースで内容を見て&都の担当者が語っていた話を聞いて
思うところがあったので書いてみる。

ニュースでは、原画マンと動画マンについて紹介し、そのうち
(薄給且つ労働条件劣悪の)動画マンの不足が深刻化し
8割だか9割を、海外(アジア)に出してしまい日本で職人が育たない

という切り口で紹介していた。

職人の地位がどうのだとか、派遣業がどうだとかいう話と
根本は全然変わらないってことだ。

また、教科書の内容については、相当高度な美術的知識を
きちんと学習できるようになっているらしく、現場のアニメーターも
「教科書としては妥当」みたいなコメントをしていた。

で、まあぶっちゃけ、専門的知識を一生懸命学んでも
薄給・重労働で、しかも(賃金が安い)海外に仕事を取られがち、
みたいな職業を選ばない人が多いのは、まあ今の日本らしい話で。

動画マン自体は誰がやっても良い仕事なのかもしれない。
だけど、そこで技術を身に付けて見出されれば原画マンになれる。らしい。

しかしその「原画マン」になれる人ってのはどんだけいるんだろう。

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もし、アニメはストーリーとか企画とかが重要であると言うなら、
動画マン育成ではなく、シナリオライター育成をすれば良い。

だが、それをやっちゃうと仕事の投げ先はやっぱり海外になって
日本は職人が育たない環境になる。

もし動画マンが将来、原画マンになれなかったとしても
老後の心配をしなくても良い環境なら、わざわざ海外に仕事は出さない。

しかし(私が直近在籍していた会社もそうなんだけど)
単純作業とか(例えば私らの業界ならコーディングだけとか)は
安い海外に出しちゃえって傾向なんだよね。

会社としては、安い海外に仕事を出しちゃえば、
雇用経費が削減できるから、その方が良いに決まっている、と。

より利益を生むにはそれしかない、と言うわけですよ。

私はそ-いうこと言うしゃちょーに対して、
では日本の雇用はどうなるんですか?って聞いたんだ。

そんなの知らない、誰かがやってくれるよと返された。

間違えなく、日本の知的労働者が雇用機会を潰しているんだよね。
そういう利益構造にした存在(あるのか?そんなもん)にも責任はあるのだろうが。

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話を「アニメの教科書」に戻すと。

都が行った施策が的外れだと言う人は、では
アニメーター育成のためには何をやれば良いと言うのだろう。

賃金を増やせ、であろうか。確かにそれが一番なのかもしれない。

そのために必要なのは、中間搾取しているヤツらをどうにかすることだよな。

でもそんなことをしても、海外に、国内と同レベル且つ安い
アニメーターが既に存在してしまっている件はどう解決(?)するんだろう。

例え中間搾取をする人をどうにか出来たとしても、
売上をUPするには(少数精鋭でがんばる、または)安いところに出すかしかない。

少数精鋭とか言い始めたら、新人育成は難しいし雇用機会は減っていく。

しかし、ほどほどのレベルなら海外に仕事させた方が
お得であるという現実からは、目を背けられない。

そういう状況下で、どうやったらアニメーターを育てる環境が出来るのだろう。

と、考えていて思いついたことは、例えは悪いかもしれないのだが
障害者の雇用義務に近いことをやるしかないんじゃないか的な発想。

しかし、職人の育成=文化の保護という意味では、そこに
ぜひ国からの助成金なんかも乗っけていただきたいと思う。

勿論アニメーターだけじゃなくて、職人の世界にそういう制度作ってくれないかな。

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しかし来年からは、このアニメの教科書を使って
講師育成に力を入れたい的な話をしていたんだが、

どうしてそういう、金集め的な施策ばっかり思いつくんだろうかな。
夢を抱く、未来のアニメーターから搾取ですか?

その、あたかも天下り先確保的な体質を、まずどうにかしてほしい。

ネガコメについて最近思ったこと

コメント:

ネットだけじゃなくて、リアルの話も含めて。

ネガコメ=愚痴、攻撃 なんでも良いが、ここでは
ある(偏った)価値観において相手を罵る行為を指す。

自分が疑問にも思わなかったことについて憤慨している人を見ると
ナルホド、そういう視点もあったか という気づきにはなる。

そういう意味では、別にネガコメ自体を否定する気は無い。

勿論、場合によっては悪い影響を及ぼすこともあるのだけど
耳触りのよい言葉にだって悪影響が含まれることはあるので
ネガティブだろうがポジティブだろうが一緒だ。

その言葉の内容は、状況判断材料のひとつであり
そこに含まれる感情は、発信者を知る要素である。


#が、たまに呪詛であるかのように嫌な感じで心に残る場合もある。
#大抵は、その内容ではなく、発信者の相手の感情に起因する。

#しかし残る原因は間違えなく自分の中にあるので、そういうときは
#「自分が原因だから」なんて物分かりの良いふりをするのではなく、
#どっかで呪詛を発信した相手を罵るなりして毒を吐いてしまえば良い。

#意外と、毒を吐くことで自分の中の原因が
#解決してしまうことになるかもしれない。

#但し、相手を直接罵るのはお門違いなので、
#あくまでも「どっか他の場所」でね。

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ただ話を聞いてもらいたい、わかってもらいたい、
自分と同じ価値観じゃない人とは同じ空気も吸いたくない

という態度が見え見えの相手と話を聞いていると、
共通して、些細なずれすらも許せないという態度で

よくよく観察していると、人と会話はしたとしても
自分の殻の中からは決して出てこようとしないし

そこに踏み込まれれば大騒ぎになるから
周囲は程々の距離以上は近づかない。

で、そういう距離感を持つことこそが
礼儀であると声を大にするのも特徴かもしれん。

何が原因なんだか知らないが、彼らは
そういう自分とずーっと闘い続ける人生なんだろうな。

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そういうのと全く逆、人の領域に結構平気で踏み込んでくるタイプに
先日偶然、出会ったわけなんだが

こちらに踏み込んでくる分、多少突っ込んだ話題を振っても会話は弾むし
むしろ踏み込まれることを望んでいるように感じる。

付き合いの幅も広いし、周囲に「この人はこういう人」と思わせる力がある。

基本気にしない人なので、地雷も平気で踏んでくるが。

印象としては「強いヒト」であり、そしてきっと、孤独に弱い。

人がいて自分がいる、ということをよく知る人だろう。

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多分、彼らは陰で自分を悪く言う人がいたとしても
気にもしないし、そのことで彼らの社会的地位が揺るぐこともない。

それよりも、自分の存在を構成している、
愛するべき人を守ることの方がよほど重要なんだろう。

漠然と、全体について考えるということは、あまりしなさそうに感じた。

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ああいう人と、自分に出来ることは違うよな、というのはわかった。

自分が見るべき方向や、やるべきことが変わるわけではないが
この人たちとの会話の中で、理解できなかったいくつかの事柄が
何となく見えてきたりもした。

それをどう書けば良いのかはわからないけど

何か、フィルタとか枷が外れた感じ。

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さて、ネガコメを吐く人がどんな反応を求めているのか。

多くは「同意」であろう。

意見は言わずに、相手に同意する相槌をうつのが
一番良いし、相手もそれを望んでいる。

意見なんぞした日には、30倍ぐらいの攻撃が来て
その内容は「良いから俺の話を聞け」であり、中には
何故話を聞かなければいけないのかの説明も含む。

同意してくれる人ならだれでも良いように見え、
同意してくれる人と徒党を組む傾向にあるようにも感じるが
基本、自分しか見ていないので連帯感も人情もない。

勿論、徒党を組む仲間には情を注ぐようなのだが、
なんだかそれが、とても無機質に、空虚なものに感じる。

本人たちも感じているのだろうか、そういう人たちから
一人の方が落ち着くという言葉をよく耳にする。

印象としては「弱いヒト」であり、孤独を愛している。

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強い人は、価値観的に否とする意見を、無視する。
しかし意見と人は別であり、意見は無視しても人は無視しない。
こういう人たちにとって、どうでも良い意見を言う人は
「二酸化炭素」ぐらいの認識なのだろう。

そして、大切なヒトは、何にも変えることが出来ない存在なのだろう。

弱い人は、価値観的に否とする相手ごと、攻撃する。
相手の存在すべてを否定する。

そして、こういう人にとっては、大切なヒトではなく
彼らを必要とする人こそが重要なようだ。

「雑記」

コメント:

あけましておめでとうございます。

昨年末は、毎度とも思いつつ色々なことがあり、
その中でも(これも常日頃の話であるんだが)特に
人とのお付き合いとか、そーいうのについて
色々と考えるところがあったわけですが。

まず。

昨年末は、個人的には絶対に付き合いしないよーな
自分にとっては新しいタイプの人とのお付き合いが発生しました。

ある時期を境に、人との新しい交流ってのに
興味を持たなくなっていた自分としては、

ぶっちゃけ、この手のイベントは腰が重いことこの上なくw

とは言え、元来人を観察するのが好きなタイプなので
知ればそれなりに興味が湧いてきたりもするんですけどね。


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