2009年10月アーカイブ

正しいか正しくないかはヌキに。

コメント:

あんちえふぇくしょん。

あそこに置いてあるブログを何故そういう名前にしたかというと、
自分が言うことで誰かに影響を与えるのが嫌だったから。

考えるきっかけにはして欲しいと思って書いてはいるのだが、
きっかけ以上になりたくない、というか鵜呑みにされたくない

という思いが強かったからであると同時に

そんだけ、鵜呑みにされることがめちゃくちゃ多い、
自分の言葉が強すぎるってことを自覚しているからなのだ。


私がこういう言葉を紡ぐようになるまでには
色々な事を思い、学び、知り、体験してきた背景がある。

そこから出てきた言葉に反応してもらえるのは大変嬉しいし
批判があってもそこに学ぶ何かがあるので悪いことだとは思わないのだが、

体験・経験を通して自分のものにしていくことこそが重要で、
その結果、どんなものが導き出されるかってのは
人それぞれであるのが私の思い描く「人としてのまっすぐな姿」であり

鵜呑みは怖いし、勘違いは何かを歪めるし
思考力を阻害してしまうような気がするんだ。

で、そういうのは大変つまらない。
兵隊は、いらないのだ。


とは言え、相手に何もかにもを任せきりにするわけにもいかず
影響を受けた存在が何かやらかすのに対しても
責任を負える範囲でどうにかしていこう、という気持ちも無くはない。

もちょっと簡単に言うと、私が誰かの思考を停止させてしまったら、
ゆさぶりをかけて頭を動かしてもらおうと努力する、って感じだ。

日々、他人について考えていることの大半は、そんなところだったりする。

しゅーきょーのはなし

コメント:

日本に仏教を持ち込んだのは、聖徳太子。
その後も、色々な人が衆生済度成さしめようと様々な宗教を持ち込んできましたけど

うちも、ご先祖がお寺なんかやってましたし、父が宗教研究大好きだったので
そういう話は耳にたこができるぐらいいっぱい聞かされていて

自分自身も、哲学の授業とか、宗教のことを学ぶのは大好きだったし
父を見ていると、自分の悩みや葛藤をどうやって乗り越えるかを
宗教を学ぶことで足掻き研鑽しているような印象を受けていたので

幼いころ、宗教ってのはそれを学ぶことで自分の心を律していく学問である。

という認識でおりました。てゆか今でもそれは変わらんのだけど。


しかし世の中的には、宗教ってのはかなり違う意味の捉えられていて
どちらかというと、神様に依存して楽をしたい的な感覚や
お経を唱えるだけで救われるとかありえん的な感覚の人が多い。

で、そういうのはなんていうか、私はとても表面的だと思っていたんだよね。

儒教にしろ仏教にしろキリスト教にしろ、苦しみから救われるために
どのように物事をとらえ、どんな気持ちで世界中の全てに挑むか

みたいなことを説いた上での「救い」であるのに、
なんで巷で騒がれるのは、表面ばかりであるのか。

変わるべきか否かは私にはわかりません

コメント:

最終的には「決め」の問題だとは思うんだけどさ。


変わる方が良い人、変わらない方が良い人と
色々があると思うので、その人がどの海に何を背負って
船出するべきであるかとか、私にはわからんし、決められない。

ただ、それでも北極の海へビーチサンダルに浮き輪で挑もうとしている人がいたら
流石に止める、というか声をかけはするかもしれない。

でも、その後どうするか、は、やっぱりその人次第なんだよね。

もし、私に出来ることがあるとしたら、
知識を増やして、より多くの情報を伝えることぐらいだろう。



だから、本をたくさん読みたいんだよね。と、いくつか前の記事に戻る。

売れない法則。

コメント:

統一感がないと売れない。

というのは、同人やってた頃にものすっごく狭いあの範囲の机でひしひしと感じた。

例えば、ジャンル違いの場所に何故か配置されてしまったりすると地獄で。

そこまでじゃなくても、例えば先輩の本を委託で置いたりして
「違うもの」が1種類でも混ざると、途端に客足が遠のくのだ。

とにかく、まず見てもらえなくなる。

だから、本のコンセプト、レイアウトや展示物は勿論のこと、
机に敷く布、売り子の見た目や服装まで何もかにもに統一感を持たせることは
とても重要であると、学んだわけですよ。


で。

先日、「お客様第一主義」が浸透しない本当の理由 という記事で
お客様第一といいつつ、自社が「どんなお客様第一主義」か知らん社員が
やらかした失敗談、みたいな話を展開していたのだが、

そこについてるコメントがひどい。というか、自分がそれを強制されたらとか
そんなこと書いてる馬鹿が山ほどいるのですよ。


言ってやる。

そういうやつは、フロントに立つな。客から見える場所に居るな。

というか、バックヤードにだって恐らく不必要だよ。
やりたいことがやりたいなら、起業すればいいじゃないか。

一体、何しに会社に来てるんだ。邪魔しに来てるのかよ。


声を大にして言ってやる。

商品がどんなに良くても、統一感を欠いた場所に客は来ない。
空気を読めって話じゃない、そんな個人的な話はしていない。

もっともっと深刻な、企業努力の話なんだ。


もしドンキにブランド品責任者がやってきて、
馬鹿丁寧に王様みたいな接客されて、
定価で提示されたらどうするよ。買うか?

ブランド品の純正店で、ドンキみたいな叩き売りされたら買うか?
てゆか、そんなことされたら、次からそこのブランド定価で買おうと思うか?

そのブランドが好きでとても大事に思っていた人は、
そういう売られ方をしているのを見たら、どう感じるだろう。
明らかに、違う客層をターゲットにした、と思うんじゃないかな。


お客様第一主義は、個々人の理念で出来てるんじゃねーんですよ。
毛色が違うのが一人いたら、それだけでその会社は信用を無くすんだよ。


それを「空気読め」とかいう日本的なものに置き換えて読むから
ストレスになるしプレッシャーになるし、胃が痛い話になってしまうのだが

そうじゃない。

自分を中心にとか、上司とか会社にいる個人を中心にものを考えるんじゃなくて

金を取る(賃金を得る、モノを売る)からには、
金を出す人の視点でものを考えようぜ。

客は、何に対してお金を払うべく、そのお店を選んでいるのか。

それがぶれるような真似をして「前例」を作った時、
あなたはその後の会社の行く末まで、責任を取れるのか。


売れない法則を理解して、売れる法則作りに独自性を見出していくのが
自分のカラーをその会社に加え入れる行為が「自分らしく仕事をする」ってことであり、

何も考えていない自分のやり方、というか「我」を押し通すことは
自分らしく仕事をする、ってことじゃないんだぜ。



というか、そういうのをきちんと教えたりしないで、
空気読め。で済ませようとするのが日本的で腐ってる、

というのだったら多いに同意しますけどね。


実際、それで変われずに朽ち果てていくものも多いわけですから。


で、そういう「日本的フィルタ」があるせいで、
真に学ばなければいけない、考えなければいけないことが
全然通じない・伝わらない、ってことは、大変恐ろしいことだと思うよ。


まあ、変えたければ変わるしかない。自重含みでね。


今日の1つの学習(というよりは気づきで悟り)

コメント:

すっげーむかつくことがあった時、怒ったり責めたり罵ったりするよりも
相手にごめんなさい、って気持ちにさせる方が絶対お互いのプラスになる。

ということで、まずは笑顔でなんでもなかったような顔をしてみよう。
それから、相手の立場から考えた時に「こちらにあった不手際」について、先に謝ってみよう。

そうしよう。まずは相手の自尊心を満たして、気持ち良くなって頂こう。

てゆかそうすれば、何かを水に流すことが出来る気がする。



ま、なんだ、

二枚舌になるぐらいだったら、体現してしまえ。みたいな。

(今の私にとっての)学習(と呼ぶべきもの)。

コメント:

昨日、久々に(2年ぶりぐらいか?)ある場所に行った。

用事を済ませてすぐ帰るつもりだったが、
会話が弾んでしまい、つい長居をしてしまった。

会話の中で、自分の中では否定的に捉えていたことに対して
脱却の糸口を見つけることが出来たり、

自分自身がどういう強みを持つ人間であるかを
知ることが出来た。それはまた、私の知らない「新しい視点」だった。

気遣いの話。

コメント:

相手の失敗をフォローした時に。

フォローしてくれてありがとう、というお礼に対し
こちらこそ、失敗する前に手助け出来なくてごめんなさいね、

と答える。

そういう言い方をしておくと、相手はあまりストレスなく
次も頼ってくれるようになる。

但しこれは、ありがとう、と言ってくれるから出来る気遣いである。

もし、

フォローしてくれたのは有難いけど、出来るなら最初から助けてよ!

と、言われれば、何このツンデレ。になってしまうし
(気遣い見せたら勘違いされるからやばいですよ。奴隷道まっしぐら。)

フォローさせちゃってごめんね、もっとしっかりしてればよかったよね、

なんて、恐縮されちゃうと、こっちも気軽に手助けが出来ない。
(めんどくさいから放置しておくに限る。決定権は相手に持たせるべき)



逆言うと、もっと関わりを深く持ちたい人には
ありがとう。と言えば良い、って話なのかもしれない。

大抵、ツンデレな人ってのは、そもそも
馴れ馴れしい関係になるのは宜しくない、と思ってるし

恐縮しちゃう人は、あまり仲良くなり過ぎても息苦しいと思っている。

がっつり「うちと他所」と責任の所在を縦割りにされるのも
バリヤー張られるのも、ぶっちゃけ、どうしようもない。

そこを、土足で踏み込むもんでもないし、
かといって相手に譲歩する義理なんかないもんな。



私は馬鹿みたいに直球しか投げれない口なので、
ひたすら理解を求める方向に行きがちなのだが、

もちょっとかかる時間を減らさねばならんな、と思う。

こんなんで時間を食っていたら、大切にしたいものを大切に出来なくなってしまう。

組織の中の「ひと」

コメント:

会社の中で「人」について考えるとき、
その人個人のことを考えるだけではなく

会社の中でのポジション というやつも
当たり前に考える必要がある

それは例えば、もっと小さな単位の組織である

家庭 であれば

個人としてどうか、という話と
父親や母親という立場としてどうかは別

とか、色々出てくる気がするんだけど


今回は会社のことだけを書く。

というか、家族のことは当事者じゃない今は多分書けないんで

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マネージャーはカウンセラーではない。


マネージャーは、マネジメントする相手(部下)が
会社の中で与えられたポジションをやり遂げやすくする努力は出来ても

ポジションを与えられていることを自覚していない人に
自覚を持たせることは難しい

#新入社員にならともかく。


私は「個人」と「会社員としてのその人」というのが
別物だ ということをあまり深く考えていなかった。

が、よくよく考えたら、

例えば誰かが風邪で休んだら客からの問い合わせをどうするか。

というのは「組織としてどうするか」という視点で決めなければいけない問題で
個人が休むことに対して周囲(の個人)が穴埋めする、という話ではないのだ


「体調管理も仕事」とか言う自己責任教のマネージャーがいたら
そいつは「組織」をわかってない。っていうことなのかもしれない

#そういう馬鹿な意見は、インフルエンザにかかっても
#会社に行こうとする馬鹿を産むのではないかという意味で


組織としてフォローをし合う体制をきちんと整えて、
自分がその一員である、という自覚を促して
自発的に体調管理が出来るように仕向けなければいけないのではないか?

#責任感をきちんと背負わせて、誰かがやってくれる、ではなく
#自分がやる。ってことをきちんと自覚するように促さないといけないのでは?

ということ。

仮に現場の人が個人単位でモノを考えたとしても
組織単位で考えて、対処するべきがマネジメントで、

その立場に居る人が、個々人の問題に落とし込んで、
知識もない癖にカウンセラー紛いのことをするのは
やり方が間違えているし、越権なのではないだろうか


同様に、外部スタッフ(派遣含め)について、費用対効果だけで
語るやつがいたら、そいつは「ダメ」なんじゃないか。と思い始めた

勿論、その逆も然りだ 社員の方が安く使えるとか
そーいう意見を言う奴も、やっぱり馬鹿でしかない

マネジメントするコストとかを全然考えていなくて
現場に丸投げ。ってことなんだからね

勿論、それでどーにかなっちゃうような
優秀な人が社内に居るなら良いのだろうけど

そんな人こそ、「社畜」と言われるに相応しいよな

能力があるなら安く使われ続ける必要はあるまい
ヘッドハンティングでもされればすぐにどこかへ行くだろう

それが、組織として「良い」ことなのか?って話だ


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この件については、唐突に思い至った部分も多いので
もうしばらく、色々考えてみたいと思います。

ネットだからって本名プレイしなくたっていいじゃないですか

という記事を読んで、そのとーりだと思いましたのと同時に
リアルで名前のことを色々考えさせられたことがあったことを思い出し書いてみる。


以前、会社に同姓同名の人が同部署に2人いて、
2人とも本名でメール投げてくるから、どっちからのメールか
いちいち電話して確かめねばならん、というおかしなことがあった。

2人とも真面目な堅物だったので、「どっちかニックネームにして」とは
とてもじゃないが言い難い雰囲気だったため、仕方がなく
周囲が電話で確認をしていた。

メールの意味ないし。という変な話である。

ぶっちゃけ

この人が誰。という確認をするのに「本名」である必要はない。

むしろ、呼び名が記号的である方が、適していることも多いと思うんだよな。

しかしなかなか、この考え方は社会においては通用しにくく、
この話に同意を得るには、相手を選ぶことも確か。

上述の2人の場合も、「言う相手を選んだ」結果、言えなかったわけだし(苦笑

#いや、遠巻きには何度か促したが全然通じなかったってだけなんだけどさ


接客業や営業職だと、ニックネームで印象良く覚えてもらう、
って感覚は結構当たり前にある気がしているが、
それ以外の職業だと、仕事は本名!みたいな変な思い込みがある気がしてならない。

ネットでの実名騒ぎも、どうもその感覚に近い気がしている。
どーもね、頭が堅過ぎると思うんですよね。

勿論、名乗ることで発言に責任を持て、みたいな意味も含んでいるとは思いますが
なんで本名限定なんだ、ってところでね。

まあ、頭が堅い人に、どうこう言うつもりもないんですが。

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それはそれとして、間違えなく名前が記号的である方が望ましい職場もある。

コールセンタなどがそうだ。

電話を掛け直す時などに、どの人と話していたか
名前で判別するしかないからね。

で、その名前は無味無臭な記号的なものであればあるほど望ましい。

けったいな苗字だとか、聞き取りにくい苗字だと、覚え間違えられて
結果、たらいまわしになったりもする。

そういうのに遭遇する度に、別に本名で仕事しなくても良いんじゃね?と思う。


ちなみに私個人の場合は若干状況が違っていて、
旧姓が「強そうな名前」なんですよ。

強そうってどんなだ、と思うかもしれないけど
例えば戦国武将系の名前あたりが想像しやすいのではないかと。

藤原とか毛利など、比較的浸透した名前ならまだしも
豊臣とかだとびっくりするよね、みたいな感じですかね。

うちの場合は、明治以降の有名人と同じ苗字だったのですが、

クレーム電話受けてると、たまに「お前なんて名前なんだ!」と怒って言う人がいたとして。
で、そこで名前を言うと覚えられちゃうよな、とかいう平たい話ではなくw

名前が強そーなことにびびって、急に相手が敬語になっちゃったりする。

勿論、逆に食ってかかってくる馬鹿もいて、何かと面倒でした。
だから結婚して名字が変わったのはすっげー嬉しかったw


それだけ、名前のインパクトって、人に影響を与えるもんなんです。
だからこそ、名前は大事で、それが本名である必要はないと思うんだけどね・・・

相応の名前を選んで自由に名乗れば良いではないか。芸名のように。


あと、有名人と同姓同名の人とかも、本名でブログとかきっと書きたくないですよね。
本名で活動したら「本人ですか!」とか絶対言われるに決まってます。

勿論、それをきっかけに引き込めるだけのパーソナリティがあれば別ですが、
大抵は不愉快な結果になるんじゃねーですかね。

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いずれにせよ、名前を覚えてもらう、ってのは
前記事にも書いたとおり、ブランディングの問題でしかないと思っているのですが

ブランディングする名前が本名であるかどーかすらも、個人的にはどーでもいいと思いますし

職場でだって、本名であることが重要だとは思わんぞ。と。

散文

コメント:

仕事が忙しーことこの上ないのですが
書いておかないと忘れそうなので、いくつか。

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「大企業の中で仕事が出来ない人の話」が重たいですw
何が重たいって、しわ寄せ直撃食らうのがorz

上司はタフだ。えらいよ。すごいよ。
きちんとサポートするから頑張って一緒に仕事取ってきて
たくさん稼いで、もう一人出来る人を雇ってもらいましょう(切実

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鬱になる人を「自分のことしか考えない」と言う人がいて
「余裕がないから自分のことしか考えられないのは仕方無い」
とフォローしようとしたんだが、元々そういう性格だったから
鬱になったとしか思えないと切り返されて何も言えなくなった。

確かに、鬱から脱するには考え方を切り替えていくしかない。

真面目すぎたり潔癖すぎたり頑固すぎたりしているのが
原因のように感じてしまうのも確か。

ってことは、最初から内向きなことが原因で摩擦が大きくなり
結果鬱になる、ってのはあながち間違えだとも思えない。

これも鶏が先か卵が先か、って話なのか。

個人的には、周囲がどうであれ自分を研鑽するのみ、
みたいな感じなのでその辺りが良くわからない。

で、気がついた。やっぱ私は修業僧か何かみたいだなw

もしかしたら曾じーさんの血を強く引いたのかもしれん。ま、いいけど。



仮に、他人のしわ寄せで私が悪いことになったとしても
そういう場に置かれることで、私は何を学ぶべきなんだろう?
どうして、私はそういう立ち位置になってしまったのか?

そんなことしか私は考えていない。

勿論、悔しいしむかつくし、不条理を感じるし、きちんと塩も撒くがw

それで誰かが悪いとかはどうでも良い。そんなの他人の人生だから。

どうでも良いんだが、自分が責任を取る立場でもないのに
責任を取るようなことを無責任に言うことも出来ない。

その上で問う。私は、ここから何を学ぶべきなのか?


半分、答えは出てるんだけど、それで本当に良いとか
絶対思わんので、常に問い続けるしかない。


で、大抵は忘れた頃に答えはやってくるもんなんだ。

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ところで、

会社に所属して実名出せないことを社畜だなんだと言う人がいるけど

実名でやるメリットって、売名以外に何があるの?
で、売名したくない人にとって、そのメリットって何の意味があるの?

私が「個人の時に実名出す」理由は、そこをきっかけに
仕事の問い合わせや人脈が出来るからという明確なメリットを自覚してる故に

そうじゃない立場(デメリット・めんどくさいことの方が大きい)の時に
名前を出す意味が全然わかりません

もし、会社に所属している時に実名出すことで
会社のために気を使わなければならなくなること自体がおかしい。

ということなら同意しなくもないんだが、かと言って
余計な気遣いしたくないから、メリットのないことはしないよな、普通に。


取締役であるとか個人であるとかいう人は、
メリットに対して精力的になれるだろうことはわかるし

ベンチャーの社員はみな起業家であれ!と言う人は
全員が同じ精神であることを求めたがるので

それと一緒な感じがしてならず、それって社畜とどう違うんだろう?

一緒に仕事して気持ち良い人とだけ仕事していたいなら
会社規模を大きくしなければ良いだけの話だし、

うちは小さいからそういう意識で居てくれる人じゃないと一緒に闘えない、
と言うのもよくわかるし実際そのとおりだ。

そして、それを自分の範囲内で言うのは構わないんだけど

世に向けてそれを発信したいなら、まずは自分ところの企業を
大企業に育て上げて、誰もが自分の名前でブログ書けるような
文化を作ってみれば良いのではないかと思う。

彼女・・・仮にAさんとしよう・・・は、
すっごい美人ですっごい頭が良くてすっごい努力家だ。

が、仕事をする相手としては大変やりにくい。
何故なら、お小言が多いからだ。

完璧であれ。なのである。

もっと平たく言うと、

あなたが完ぺきであるべきで、そうでないからこっちのチェックが大変なのよ!なのである。

がしかし、よくよく確認してみると、相手のミスであることが大半なんだよな。

加えて一つ問題がある。それは、金を払っていないという点だw

まあ、安い仕事でもミスはしないように心がける、というのは当然ではあるのだが
会社は、費用を貰えない仕事になんて人員を割いてはくれないのですよ。

そんなことしたら、赤字になっちゃうからね。

だから、きちんとチェックしますからチェックのお金ください。
って話をするとうやむやになるという不毛な会話のループw

こっちのミスならまだしも、向こうのミスまでこっちの責任で
ぎゃーぎゃー言われる時間が無駄と言わずして何と言うか。

まあ、赤字仕事するぐらいなら、これ以上は責任持てません。
としか、こちらとしては言いようもないけどね。

たのしーけどたいりょくねーのでたいへんです

コメント:

最近、個人でお仕事を頂いている。

てゆかぶっちゃけ、今フルタイムで働いている上に
たまに土日出勤もあるぐらいで、結構体力的にきついんだがw

しかしご恩のある方からの依頼なので、無碍に出来ず
話を聞くうちに、楽しくなってきてしまったのだ

ぶっちゃけると、嫌われ業種で、且つネット広告も
結構古くから、ものすごい数を見るものなので
今更どうなんだろう。と思ったのだが、話を聞いていると

「いけそう」

なのだ。依頼主のアイディアが既出でないか調べると
全然「無い」んだ。こんだけ情報が氾濫していると言うのに。

実はネットも携帯も大嫌い、というおっさんからの依頼なんだが
こちらから情報を出すと、出てくる出てくる。アイディアが。

それも、本当にネットとかPCとか知らんの?
というような、マニアックなネタもたくさん出てくるし
ノベルティなどの新しい使い方もわらわら出てくる

ノベルティ大好きっ子(って歳じゃねえ)としては、
そこはポイント高いわけですよ!

無駄にカタログたくさん取り寄せちゃった~♪
こういうの見てると楽しいよね・・・(幸

彼の作りたいものは、なかなか商用ノベルティでは難しいので
同人誌用のカタログなんかも取り寄せてしまいましたよ

なんか・・・自分でも何か作りたくなってきてしまいましたw

いやまあ、実際には作らないんだけどね。見てるだけで楽しいです。



脱線した。


で、新しいアイディアを形に出来る!ってのは
すごくすごくすごく楽しい。

もしそれが、結果が伴えばもっと楽しくなるだろうし
唯一無二のものをつくった。ということは、
きっと自分のなかで大きなプラスになるだろう

今回は、運用まで全部やらせてもらえるので
トライ&エラーも好きにやれる。素晴らしいことだ。

こういう仕事やらせてもらえるのは
個人で趣味の範囲でやってるからだよなーと思います。

だって、企業だったら採算考えなくちゃいけないし、
フリーランスだったら生活考えなくちゃいけないから
とてもじゃないけど、こんなチャレンジできませんもの。

勿論、おっさんはそれで食ってる人だから真剣だし
今までそれで家族養ってきたんだから流石、手だれている

こういうのはね。面白いな、と思います。

身になったらどっかではっぴょーしますです
個人的な感覚では、芽が出るのに多分1年~2年はかかる予定w

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