雑記: 2009年5月アーカイブ

必要なものは人により違う

コメント:

モチベーションを上げるために必要なものは何か。
頑張るために必要なものは何か。
自覚を持つために必要なものは何か。

人により違うものを、相手に合わせて選ぶためには
一対一で(第三者のいない状態で)会話をするしかない。

逆に、大勢が集う、開かれた場で自分の意見を言うとき
基準は「自分」であり、他人ではなくなることが多い。

その時、自分と違う意見が多かったとして
自分自身を否定されたように思うというのはおかしい。

・・・とは言っても、

私もそういう状況に出会うと、私は(この場所では)
要らない子なんじゃないか、と思ってちょっと凹むわな。

でも、大切なことはそういうことではないので
慣れるしかないと思ってます。

それに、不安になることの方が、その場の人に対して失礼だったりするんでね。

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人を幸せにしたいと思ったら、
自分がまず幸せで、輝いていなければいけない。

不幸そうな顔をしていたら、相手も不幸にする。

だから、嘘でも無理でもなんでも、とりあえず笑っとけ。

医学的に言っても、口角を上にあげることで
免疫力がUPするらしいから。

心の健康と身体の健康は表裏一体だから、
精神的に弱っている時は、身体のせいにしてしまえばいい。

身体のどこかに悪いところがあるから、精神的に辛いんだ、と
身体のせいにして、あとは笑顔。胃薬。そんな感じ。

何もしなくても強く居られないなら、
見えないところで努力するしかないのだ。

で、強いものに出会った時には、存分に助けてもらえばいいのだ。

強いものに出会った時、自分が弱ってたら
強さにあてられちゃうから、出会うときまで
ちょっとは健康になっていないとならんのだ。

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私はほんとに身体が弱くて、幼稚園・小学校時は
学校行事にほとんど出ることができなかった。

中学の時に関しては、ほぼ記憶がないんだが

その頃には「私がいると人に迷惑かける」としか
考えられなくなっていたのだが、

高校の時、林間学校に参加した時も、高熱を出し。

先生にばれたら家に帰されるところだったのだが
クラスメートがみんなかばってくれて
なんとか「何もトラブルは無い」ってことにしてくれて

がんばらねばならん。と、思うようになった。

迷惑かけるから、とひっこむのは簡単だが
なんとなく、それは間違えてると思ったのだ。

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他人も自分も幸せになるのが正解。

ってところにたどり着いたのは、またずいぶんと先の話になる。

優しいとかいわれたくないです

コメント:

弱いものが、弱い故に何かを罵倒(或いは否定、攻撃)をしたとする。

すると、自分の領域を侵される脅威を感じた人は、
相手が弱い故にその発言者を叩くわけだ。

或いは、賢しい人は、弱者にこうアドバイスをするかもしれない。

「自分の領域を犯したものに対して、噛みついてしまう前に考えろ」

それは、恐らく自重が込められているのだろうね。

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さて。

弱い者が、噛みついてしまう前のケアの必要性を説く人がいる。

尤も、本人も自覚がある通り、そういった世の中であって欲しい
(そして自分も守られたい)という気持ちから生まれたものであるわけだが。

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個人的なことを言うと、私は自分が傷ついたときは
「優しさ」よりも「意見」や「知識」が欲しいと思う。

意見により、客観的に事象を分析することが出来るから。
そこで冷静になれれば、余計な感情は残さずに済む。

或いは、知識により、自分で自分の傷を治す術を手に入れることが出来るから。
それが出来るようになれば、次に他の人の傷をいやすことが出来るかもしれない。

感情が激しく揺れる瞬間というのは、大切な、成長の糧なのだ。

反面で、優しさで近寄られることを気持ち悪いと感じる傾向がある。
根本的解決にならない、怠惰な時間であり、
成長を妨げる悪意だと感じてしまうのだ。

ましてや、下心がある優しさなんて持ってこられたら、反吐が出る。

尚、優しさを使えば減る人=優しさに下心が必ず付いてくる人と言える。

しかし勿論、下心もなく、無垢な優しさに、胸を打たれることもある。

そういう「本当の優しさ」を、否定するほど野暮ではない。

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そういう、損得勘定抜きに優しく出来る人というのは。

ひとつは、無関係な人なんだろうと思う。

話題の領域に、一切関係がない人だ。

罵倒する意見にも、罵倒される意見にも、どちらの意見にも関心がない人は、
どちらにも無関係であるから、何の抵抗もなく優しくすることが出来るだろう。

もうひとつは、強い人。

自分が噛みつかれていても、罵倒されていても
相手の気持ちを思いやれる人。

しかし噛みつかれた傷が、見えないところで膿んでいって、
そういう人が、人付き合いを苦手としている場合も多かったりする。

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幸か不幸かはともかくとして、中途半端に強い人というのは、
鈍感なまま一生を過ごすことになるだろう。

しかし弱い人は、強くなれる可能性を秘めている。

その「強さの可能性」を、誰かに優しくされることで、
開花させる人は、多いだろうね。

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それはそれとして。

最近、なんとなく思うのだが、
私はやっぱり、男が嫌いなのかもしれない。

女には優しくしたいのだが、男に優しくしたくないのだ。

厳密に言うと「優しくすることで好かれること」が嫌なのだ。

好かれないなら、いくらでも優しくするのだが、
優しくされて嫌う人とは、接点が続かないしなぁw

まあ、そういう細かい理屈は抜きにして、
よーするに、優しくして!って男が近くに居ると
猫の額的な自分の心の狭さに打ちのめされるんですよ。

で、自己嫌悪はしたくないから、出来れば避けて通りたい。です。

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少しの間だったけど上司だった人が教えてくれたことの中で
ただ一つ、ものすごく大切なこと。

それは、相手にメールでも資料でも、何かを渡して判断してもらうってことは、
相手の時間を頂くことだってこと。

会ったり電話をしたりすることを、相手の時間を割いて頂く、
という概念はよく聞くし、よくわかることだと思うのだけど

メールでも。資料でも。例えそれが相手から要求されたものであっても

それを読んでもらうということは。

ましてやそれを読んで何かを判断してもらうってことは。

相手の時間を割くことなんだ、ということ。

このメールを出すことで、相手がどんなことを考え判断するか、とか
よーく考えて文章を書け、資料を作れ、ということを言われた。

その為に(文章を/資料を)どうすれば良いか、というのは
千差万別、ネットにテンプレートだってたくさん落ちているけど

そういう技術論を、語るよりも前に

そのメール/資料を相手に渡すことで
相手にどうして欲しいのか、を考えるなら

相手がそのメール/資料に対して
どんだけの手間をかけさせるか、ということは
絶対考えなければいけない。

これを教えてもらえたっていうのは、私の人生の中でも
かなりなウェイトを占めるようなことだったかもしれない。と、思う。

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