雑記: 2009年9月アーカイブ

お金と詐欺と

コメント:

毎度、どこでこーいうこと学ぶのかはよくわからんが。

身内に保証人詐欺ひっかけられて2千万もの借金を背負わされた父は
脳内出血で倒れたけど一命は取りとめたわけです。

ついで言うと、その後30年生きてて、手術があるときも
神が降りたかと思うぐらいに運良く凄腕のお医者様に見てもらえ。

というか、そもそも詐欺に引っ掛かったお陰で
父から搾取することしか考えていなかった親兄弟と
縁を切ることができたと言っても過言ではないわけ。

それを思うと、その2千万ってお金で父は命を買えたんじゃないか。

というか、騙されたとか思うより2千万で命が買えて良かったね、
って思った方がいっそ精神衛生上良くない?

と、いうのが子どもの頃から母に言い続けたコトバ。


・・・子どもらしくないって言うな。私もそう思ってる。



人ガ望ムモノ

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ちょっとしたことをきっかけに、以前祖父の家があった場所を
ストリートビューで見る機会があったのだが、
既に元にあった建物は取り壊され、違う家が建っていた。

祖父は、とても人望の厚い人で、

朝5時には、祖父の診療を受けたい人たちが
行列を作ってしまうものだから、
祖父は、そのぐらいの時間になると
一度起き、待合室のカギを開けてから
診察時間までもう一度寝る、という生活を送っていた


内科であれば、近所の寄り合い所になるのも珍しくないかもしれないが、
祖父は、歯科医であった

場所も、決して田舎ではない。というか、
渋谷から電車で20分の場所である

幼い頃から、その場所に慣れ親しんだ身としては
それが当たり前の光景であったが
今考えると、脅威的、というかもうなんていうか

ありえん。としか言えない。

で、そのあり得ない場所を、うちの父は
祖父の遺志・・・かな。で、継ぐことになったのだが

結果としては、上述の通り

その場所は他人の手に渡り、元あった建物は取り壊され
違う建物が建ち、今は、知らない人が住んでいる


空気を読む損得

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「親しき中の礼儀」が吹っ飛ぶ瞬間。

仕事の場合、クライアントの礼儀が吹っ飛ぶ瞬間てのはチャンスである。
それだけ、気を許してもらっている証拠だからだ。

勿論、その分(甘えがある分)価格交渉とかも厳しくなってくるのだが、
そんなもんは、最初に高めに設定→値下げして
お値打ち感を与えることで、むしろ喜んでいただけるでしょう。

ふっかけじゃなくて、きちんとお値打ち以上の価値が理解してもらえるだけの
納得感ある説明&資料(担当者が決裁者を説得するための)を
用意してあげれば良いのであり、その資料作成費も請求に織り込めばOK。

お安いってだけのコミッションは、確かに決済通りやすいかもしれないけど
トラブルが起きた時、対価は絶対に出てこないから
下手をすると、業者もきちんと対応をしてくれないかもしれません。

そすると結局、担当者がトラブル解決に奔走する羽目に陥るので、

担当者としては、決裁者からより多くのお金を引き出し
自分の仕事が楽になる提案の方が、有難かったりする。のです。

だがしかし、高くて良いサービスを決裁者に説明する資料を
作る手間を、担当者に与えちゃったら、通してくれるはずがない。

仕事を増やすのは嫌だからですし、
なんで自分の得にもならんことで労力を割いてくれるでしょうか。

リスクマネジメントにはなるかもしれないけど、
担当者の給料は増えも減りもしないのですよ。

起きないかもしれないトラブルの為に、労力を割いてくれません。

口では「安い方が良い」と言うかもしれない。

でもそれは、担当者が決済を通す時に楽だから、なのであり
よーするに高かろうが安かろうが、担当者の懐には関係ないから

費用対効果がきちんと目に見えて分かり説明が出来るなら、
あとはどれだけ(お互い)気持ちよくなれるか、の方が重要なのである。

担当者は自分中心だから、そんな感じだけど
決裁者は、企業規模が大きくなればなるほどこういうことを言う。

100万で110万の利益が出るものはいらない、
1000万で1500万、2000万の利益が出るものを欲する、とね。

この「利益」ってのは、収入が増えると言う意味だけではなく
担当者の労働時間という人件費が減ることも、考えてくれますよ

勿論「まともな決裁者であれば」の話だけど、
大きな企業であるほどまともな人は多いです。

そこを計算してくれない企業ほど、
デスマが起こりやすいので付き合う相手は考えよう~


その後の話と身だしなみの話

コメント:

前記事は、なんか死ぬほど長文になってしまい、
読んでくれた方には御礼と謝罪を(ぇ

ちなみに、そんな私を見て、20年以上の付き合いがあった友人曰く、

あんたは自分の内側から来るパワーでやられてるよね。

と、言われましたが、それは当たっていると思います。

結構、いらっとくるとかなりでかい負のパワーが生じるので
ストレスを感じないで生きるってのは、重要だと思ってますよ。

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さて、以下は前記事後、高校以降の話だけど
女子力の話は出てきませんw

ただの、回想と、おまけで身だしなみの話なんかを書きますよっと。


「女子力」をシカトし続けるとどうなるか

コメント:

そういえばですね。

私には、女子なんざ目に入らないほどの、敵

というか、闘わなければならん相手がいたので
当時は全くと言っていいほど気にしていなかったのだけど

確かに、女子をシカトし続けると面倒は面倒だし、
女子の中で平和に生きていくには、あいつらをシカトするわけにはいかんだろう。

そういう意味では、たぶん普通の女の子は
女子力を無視して生きていくのは難しいのかもしれません。

というわけで、それを説明?するために

私が女子をシカトし続けつつも、どのように女子と関係を持ってきたか、
またシカトした結果、どんなことが起きたかを、ちょっとだけ書いてみようと思う。

#先に言っておくと、あまり真髄は語れない。
#なぜなら渦中に居なかったからだwと、途中で気がついた。

#大層なタイトルにしてしまったけど、期待はずれだったらごめんね。


大切なのはね。

コメント:

誰かが、欲望の対象となろうとする時に女子力が必要になる

みたいなこと書いてたよーな気がするんだが。

可愛い、ってのは確かに得だと思うんだ。
でもそれは見た目の可愛さじゃなくて、
内側から溢れ出る可愛らしさのことで、

その内側から溢れ出るままに、外見もきちんとしている女子を、
女子力が高いとか言うなら、それは否定しないよ。

でもね、それはその人の内面が可愛いから。が、先なんだよね。

で、その長所をその人は知っていて、その武器をきちんと
磨いているから輝いていて、輝いているから愛されるんだと思うんだ。

大事なのは、内側から溢れ出しているってところなんだよ。

可愛いと言われることを、馬鹿にされている、みたいに否定的に捉えるタイプは
自分の内側から可愛らしさが溢れるってことはあり得ない。

でも、そればかりが女子力なのか?ってのをまず考えろっての。

仕事できる女だって魅力的な女は居るし
さばさばしてたって魅力的な女は居るし

そもそもだな。まず恋愛したくて女子力上げたいとか言うなら
まず。女子力高そうな女に寄ってくる男をきちんと観察してみろ

そういう男に、ああいうちやほやされ方するのが
お前の望む恋愛か?絶対違うと思うぞ。

そーいうのわからずに、女磨くってのが
雑誌だとか周囲の目立つ存在とかに振り回されて

すげー情けない。と、思うんですよ。そういうのは。

自分が無いって言われると思うよ、そういうことやってると。


大切なのはね。

例えば、自分が一番綺麗に見える姿勢を知っていることだったり、
自分が一番自信を持てるところをきちんとわかっていることだったり、

で、そういうのをしっかりわかっておいて、自分をしっかり磨くこと。

私みたいな、好きな人以外に魅力的とか思われるのは遠慮したい。

と思うヤツが(相手に合わせて)自在に表層を操るのなんてのは
別に参考にする必要はないけど、

私だって、自分が愛している人の前では
その人にとって世界で一番、愛されキャラで居る努力してるんだからね。






や、うちの旦那にとって私の可愛さってのは
パンダだったりカバの子どもだったりするんだけどさ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

外見てのは外からの見た目

コメント:

仕事は第一印象が大事、とはよく言いますけど
外見作っておいて外見で判断されたくない、と言う人の気持ちがわかりません。

自分自身は、相手を全く外見で判断しない、どころか
下手をすると見た目なんて全然覚えていなくて
感覚とか受けたイメージだけは的確に言える、

みたいな特技を持っていますが、こんなのは、超レアケース。
そんな特技を持った人は、世にほとんどいないと思っている。

他人は、外見で私を判断する。



先に言っておく。有意義な残業はむしろ大好きだ。

この時点で、大半の人の同意を得ることが出来ないだろうと思うが
それを言ってしまうと話が進まないので、置いておくとして。

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人が生きられる時間、ましてや「今」なんてのは
ものすごく有限で、ものすごく「今」しかないので

今「やる意味がある」ことなら、今やってしまいたい。

やることをさっさと終わらせて、残りは自分の時間にしたい、という意味でもある。


先日の記事で、母にとって私が女であることは忌むべきことであった

と書きましたがそれは、間違えている。というか、すみませんウソでした。

母が、ではなく私自身が、私が女であることを呪っていたと言うべきだ。

母は私に「可愛くて母にそっくりで、母の言うことをよく聞く
素直な女の子」で居て欲しかったんだと思うが、

まあ、私がそれに対して反吐を吐き続けていただけだ。

今でも↑を書いてて気持ちが悪いが、そうだとしか思えない。

で、その「枠」に当てはまらない私を、どう解釈してよいか、
どう受け止めて良いかわからずに出した母の結論が

「男の子みたい」であった、というだけであり、
"男扱い"された原因は、どっちかと言うと私の方にある。

原因といっても、私が悪いとかそういうことではなく
私が母のような女になりたくなかった故に、という意味。


うあー

コメント:

母親が自転車で痴漢されたんだが

釣りだかBOTだが知らんが、笑いつつあまり笑えなかった。

何故なら私も、2つことを同時に説明しようとすると、
崩壊したことを言うことがあるからなんだが・・・


どうやって逃げ出したかという話

コメント:

私が色々諦めた理由は、ぶっちゃければ生活のためである。

先日書いたとおり、私は親から逃げるために絵を頑張った。

が、選択した道が悪かったこともあるのだが、
肝心の大学受験時に、死ぬか生きるかってぐらい体調を崩してしまった。

原因は、今になって思えば多分アレルギーだ。
油絵を選んでいたのだが、当時は木炭が主流で
予備校の油絵科の部屋は、そりゃもう大変空気が悪く、
絵を描こうと予備校に行くと、体調を崩してしまうのだ

おまけに体調を崩す私に対して親がストレスをかけるし
しばらく行かないと絵の具は盗まれるしでさらにストレスがたまるしで

体調はさらに悪化する アレルギーとストレスは最悪の組み合わせだ

デザイン科の知人には、何故こちらに来ないのだ?と言われたが
今になって思えば、本当に何故転向しなかったのかと思う

#まあ単純に、油絵が好きだったからなんだけど

先日の記事の続きのようななにか

コメント:

先週まで、3週連続で土曜日出勤だったので
今日は久々に休めると思ったら、
個人で受けている仕事で、クライアントから追加の要望がw

てゆか昨日も大トラブルがあって、帰りが遅かったから
対応は明日にさせてもらうつもり・・・すみませんorz

そんなこんなでばたついており、3日前の記事の続きネタで
何か書こうと思っていたのだけど、忘れてしまいました。

故に、今日は(思い出すまでの間)書いた後のことを書く。だらだらと。


ちょっと書いてみる

コメント:

最近、コミケを商業化してどうのみたいな仮説書く人がいて
あまりに腹立たしく、増田にでも書いてやろうかと思ったけど、
別に誰に同意されたいわけでもないのでこんなところでとぐろを巻いてみる。

同人誌とかコミケとか興味無い人はスルーしてくだされ。

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忘れないうちにメモ

コメント:

私が描いていたモノ。

それは、何かに対する羨望であったり
何かに対する強い願いだったり
内に秘めた恋心だったり。

但し、それらは「私の」ではなく、「他人の」。

私は唯、そういったものを見つめ続けて表現し続けていた。

表現したいものは、他人の想いだった。

意識してやっていたわけではないが、
私はそういう「想い」を抱く人に、

憧れて(今でもそういう傾向はある)、
ただ、横でそれを見つめて、形にする。

それは無意識であったし、私の描くものが自分を表現しているとは
受け取った人は誰も気づかなかっただろう。

ただ、みんなとても喜んでくれた。
大切な宝物を貰ったように大事にしてくれた。

自分を描いたものだとは思いもしなかっただろうし、
私も、そのことには後から気がついたのだが。

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喜んでもらうのがうれしくて描いていたのだが、
私が描いていたのは、相手の自画像だった。

相手が秘める思いを形にしたものだったから、
大切にしたい思いを表現したものだったから、
喜んでくれた。ということだ。

そして、その絵を渡すことで、私は
その人から解放された と思い

その人の元を去ることが多かった。

私がその人に伝えたかったことが、
正しく伝わったことに満足したのかもしれない。

私が描きたいものは、表現したいものは、

そういうものだった。

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それが、私が絵を描く側面のうちの1つ。

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もうひとつの側面は、技術。

自分が表現したいものを表現できないもどかしさ。

ひたすらひたすら、技術力を高めることで「満足」を手に入れようとした。

だがある時、おまえは(絵ではなく)文章を書け、と言う人がでてきた。

私が、相手に伝えたいことをただひたすらに
絵に託そうとすることに対するアドバイスだった。

今になって思えば、それは適したアドバイスかもしれないし
大きなお世話だったのかもしれない。

だが、同時に読むことを勧められた本(例えばユングとか)に
書かれていたことを色々考えると、わからなくもないアドバイスだった。

「投影」

に、私は苦しんでいたからだ。

私の中に、私ではないモノを投影する存在から
逃げる手段が、絵を描くことだったからだ。

「私は、違う」

それを言葉にすることなど考えもせず、
ただひたすらに相手が思い描くものを絵に描き起こす私を、

そいつは

犬死でしかない

と 言い放った。

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「独自の世界観を確立しろ」

ある先生(ということにしておこう)に貰ったメッセージだ。

「心理描写とペンタッチはベテランの域。でも絵が下手」

そうとも書かれていた。

絵が下手。というのはどういうことか。


私の(絵を描くと言う面においては尊敬に値する)友人が
描く対象の一つ一つをとても丁寧に、
愛でるように、嬉しげに観察していたのを見て

私には無理だな。と思った。


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ヒトとして成長したら上手くなれる、と思った。

と言うより、人として未熟である故に私は絵が下手である。

と表現する方が、当時の(或いは今の)自分に対する評価としては、正しい。

絵が変わっていないことは、
私自身が変わっていないことに他ならない。

絵が上手くなる、って、どういうことだろう?

そもそも私はなんで絵を描きたかったのだろう?

何を表現したかったのだろう?


・・・その答えは、上述の通り。


それを描くことにより、私はどうしたかったのだろう?

多分、逃げたかった。

のだと。

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何かを描いたり表現したりする元になるものは、
感覚や感情だと思っていたのだが、

もっと根本にある素材、というのは「脳が取り込んだ情報」だ。

逃げたいという思いが絵を描いたわけじゃない。

なのに、私は逃げの手段に絵を選んだことを
結構長い間、後悔していた。

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逃げの手段として絵を描いていたことは、自覚があった。

と言っても、その自覚は私が思うような自覚ではなく
親の跡を継がずに、且つ学費を出してもらう手段として
絵を選んだ、という即物的な理由に対する自覚でしかなかったが。

逃げる必要がなくなったから、絵を描く気持ちが失せた、のだと思っていた。

或いは、しばらくの間は本当にそうだったのかもしれない。

また、私が絵を描くことに対して不満を抱いていた存在からの
総攻撃に辟易して投げ捨てたという側面も、ある。

が、心に余裕が出来れば出来るほど、私が捨てて置いてきた

「絵が下手」

に対する挑戦をしなければならないのではないか、
という思いが湧いてくるのだ。

それは、人としての成長をしなければ、という思いと同義でもある。

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絵を描きたいか?と言われると。

反射的に、誰かの真似をしてみたいと思うことはある。

こういう絵が描きたい!というものだ。

しかし、私に突きつけられた命題は、

「人真似をやめて自分の世界を作れ」

であり、それが恐らくは私自身の抱える問題を

解決するものでもあり、また自分自身が

成長する一歩でもあるのだろうと思っている。

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私の脳は、世界をどう捉えており、

どう表現したいと思っているのだろう。





例えばデッサンの正確さは、
脳がどれだけ対象を正確に捉えているか、
という観察力が大きいのではないかと考える。

観察することに情熱を傾けることが出来ない以上は
絵なんて描けるはずがない。と、思っていた。

そういう面は、確かにある。

だが、

「あなたが表現しているものは、そういうものではない
技術があなたよりもある人は、いくらでもいる
でもあなたの絵の価値はそれではない」

そう言う人もいた。



そういうことを言われたのと同じ時期に言われたのが

「絵が下手」

その時に評価に使われた作品に対して、
男性と女性から、真向から反対の感想を貰ったこととかも
多分、関係しているのだろうと思う。


「絵が下手」


それは、デッサン力の有無のことではないような気がしている。



今はもう、召されてしまったので、その人から
教えを乞うことは出来ないが。



私は多分、捨ててはいけないものを捨ててきたのだろう。

生きるためには仕方がなかったとは思うが。

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